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2009/03/28

葛藤と方向性

この数日間は引越し作業に追われる日だった。
運悪く家族がインフルエンザで倒れ、発熱した相方を看つつ作業を進めた。
娘が寝込んでいる相方の面倒を看てくれた。思ったより成長していると感じた。
それと作業の手伝いをしてくれた仲間達に感謝!!嫌な顔一つせずに連日手伝ってくれた。

本当にありがとう。


会社を辞めてからの1.5ヶ月はいろんな葛藤があった。
これから迎える共同生活に対する不安を感じた2ヶ月であった。
仲間をうっとうしく感じたり、折り合いをつける行為が面倒に感じたり。
それぞれの長所が持つもう一つの側面が、いやに目立って感じたりした。
きっと、共同生活は夢色の生活ではないのかな?
同時に、自分自身が何をしたいのか、どんな風にしていきたいのか
よくわからなくなった時間でもあった。

でも、時期が来るにしたがって気持ちがすっきりした。

僕は実に多彩な人達に囲まれている。
論理と規律のお喋りさん
笑いと慈しみの世捨て人
1点集中型大工さん
家庭の暮らしのリズムを刻む相方
希望の種のわが娘
そして、これからどんな味が染み出てくるか・・楽しみな多角形な調理人。
主観的、かつ極端な言い方だけど、こんな多彩な個性が牧丘の愛しい顔ぶれだ。

この面子が今牧丘に参集していることが、もし何かの大きな流れの意思であれば、
石積みの石のように、すべての個性がそれぞれに必要な要素なのであろう。
思えば、今年に入ってから一緒の時間が日常ではなくなっていた。
きっと大事なのは、お互いの意思疎通だろう。気持ちと考えを受け入れあうこと。

そんなことが腑に落ちると同時に、
自分自身が望むことも整理が出来た。(すっきり!)
自分は牧丘の土地をパーマカルチャーデザインをしたい訳ではない。
農業がしたい訳でもない。何かを人に教えたいわけでもない。
日本の農村の将来を背負うつもりもない。

単に豊かで幸せな暮らしがしたいのだ。
あえて何かをデザインするとすれば、
みんなが仲良く、幸せに暮らせる空間を作りたい。
それ以外は無関心ということではないけど
それが自分にとって、少なくとも今、やりたいことだ。

ということで、自分は仲間達をとにかく応援することにした。
きっとこの1.5ヶ月という時間は、自分を醸す為に必要な時間だったということだ。
明日から牧丘入り。よろしく。

2009/03/18

お金のこと

会社も辞めて時間がゆっくり流れるようになった。
それはよいことだけど、お金について心配されることも多い。

今までは月々決まった給与が銀行口座に振り込まれていた。
でも、これからは当面プラマイ0が目標。

そのために収支の振れ幅をできるだけ小さくする。
出来るだけお金を使わない。支出だけでなくて、収入もね。

お金で繋がる関係も否定はできない。
けど、それ以外の交換方法を主にして、暮らしを組み立て直してみたい。
それに持続可能な農的暮らしが金を持っている人しか出来ないなら、
そんなものには何の意味もない。そこら辺を自分なりに立証したい。
金をかけない食卓がどれだけ物理的に豊かに出来るか?とても興味深い。

しかし、現実として月々のお支払いは結構ある。
ガス、水道、電気、携帯、ネット、医療保険、自動車保険、学資保険、健康保険、年金・・・
牧丘では、公共料金は仲間達と共有するからあまり負担にならないが、全部を積み上げれば結構な額だ。
当面は、この必要経費の費用を稼がなければならない。

それぞれとの関わりのあり方については、時間をかけてじっくり考えたい。
将来の金を確保するために金を稼ぐ。なんかおかしな話だ。

自給できていない状況では、あまり楽観視できない。
生きていくのにどうしてもある程度の金がかかる様では、もしもの時を考えてしまう。
自分に、何かあったら娘は・・・。
何か一線を越えないと出来ないのではないかと思っている。
その線を越えることで何を捨てることになるのだろうか。

いずれにしても、その様子を公開してみるのも面白いと思っている。

素晴らしい出会い

今年も始まった!
パーマカルチャーセンタージャパンの実習コース。

3月から12月まで毎月第2土曜日から一泊二日の授業。
去年から塾スタッフとして関わっている。

先週末に新たに35名の虹の戦士達と出会った。
多彩な顔ぶれ、年齢も20歳台前半から50歳台の個性豊かな35名。
個性がぶつかり合う中にも、調和した関係を醸し出せるようにサポートしていきたい。

人と出会うのってとてもエキサイティングだ。
でも塾が終わった翌日の月曜日は泥のように一日中寝てしまった。
もぬけの殻。精根尽きた感じ。有意義な週末だった(^^)

今年から講義を受け持つことになった。
先週末も合計3時間ほど授業を受け持った。
講義をするなんて・・・柄ではない。


自由とはなんだ?
豊かさとはなんだ?

そんな問いかけが、塾長から発せられる。
彼と接するたびに、駆り立てられるようにな感覚を覚える。
すっと入ってくる時もあり、逆に頭が重くなるときもある。

自由とは、主義主張を押し通して、好き勝手にすることではなくて、
自分と他人が一致したときにこそ味わえる理想の人間関係において実現する。自他の一致。
確かに、他人によって自分の行為が阻害されることがある。
自分を100%表現するには周囲の理解は絶対に必要だ。
同時に自分を理解してもらうことだけではなくて、周囲を同じように受け入れることも。
牧丘で共同生活を送ろうとする自分にはタイムリーなりマインドだった。
相手のアクションを期待するでなく、相手の行動を応援しあえる関係がいいと思った。

豊かさとは、豊かさの源泉は自分であり、その瞬間を精一杯生きることということだった。
その瞬間を精一杯生きることが豊かさかっていうことについては異論がある。
自分にとっては、豊かさというものは、人とのつながりの中でしか感じられない。
行為の有り様とは、なにか違う角度があるのではないかと思うけど、まだ言葉では明確に表現することは出来ない。

いかに食卓がさびしくても、家族や友達と一緒のにぎやかな食事は豊かだ。
豊かさとはそんな心のあり様かもしれない。

しかしながら、塾生を挑発して、生き方についての葛藤を促し、
その瞬間を精一杯生きるように仕向ける姿勢は、
自らを追い込んで生きていく覚悟がないときっと出来ない。
そうやって、今までやってきたのだろうと思うと頭が下がる思いだ。

塾の最後に、自分自身を追い込む意味で、
塾生を挑発するようなことを言ってみた。

そもそも毎月一回の塾なんてお祭りみたいなもんだ。
刺激的な非日常のインプットをどうやって日常に活かすかは受け手の選択だと思っている。
活かすか流すかは受けて次第。来月に再会するとき、その変化に期待したい。

そんな意味合いの発言。かなり大きく出てみた。
自宅に帰ってびびる。さて、自分は来月までにどんな進化を遂げるのか。
牧丘への移住は目前だ。

2009/03/04

藤野の畑撤収!


去年の2月からまる1年間、世話になった畑を撤収した。
本当に世話になった。ジャガイモに始まり、さまざまな夏野菜、秋冬の菜っ葉たち。
うちの食卓周りの小さなコミュニティーを陰日向と支えてくれた。
なによりいろんな人との縁を育ててくれた。

畑の撤収ってなんか変な感じがするが、
僕らの畑はキノコのホダ木やら、うちの裏に生えてる竹柱を
片付けしないと次に使う人が耕運機を動かせない。

切なかった。
一人じゃできない作業だったな。

違うやりようはあったかもしれないけど、
次の人が使いやすいようになるべく平らにするために
畝をつぶすのは切ない行為だ。
しかも、大方収穫が終わったとはいえ、春の草花が芽吹いているのに・・。

小さい白菜もトウが立って蕾をつけ始めていた。
こっちの都合でごめん。最後の収穫を念入りに行った。
1メートル近くに育った人参は最高にうまかったです。


一緒にうまく越冬したネギ類と豆類を移植した。
牧丘の新しい畑ですくすく育って欲しい。