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2009/07/13

信頼とビジョン

今週末はPCCJでスタッフ仕事。

竹の伐採あり、畑あり、森の散策、竹細工と盛りだくさんだった。
基本的に普段やっている感じことばかり。でも自分も試行錯誤中なもんで、なかなか的を得た話が出来ない。とにかく今出来る範疇でやってみること。とりあえずでも自分でやったら、次にもっとうまいやり方を思いつく。そんな風に思うのと同時にとても恐縮する。

信頼とはなにか?考えさせられるタイミングがあった。
自分を傷つけない人。言動が一致している人、自分を何があっても受け入れてくれる人。そして自分が受け入れている人。時と場合によって使い分けをしているのかも。信頼という感情を言葉で説明するのはとても難しいと思った。誰しも受け入れることができる人になりたいと思う。

それと、改めて牧丘暮らしのビジョンとは?と思った。みんなで幸せに暮らすこと。金がなくても幸せに暮らし続けられること。出来ればそんな暮らしが自分達の手で本当に作れることをいろんな人に知ってもらいたい。そんな風に考えている。コンセプトからデザインに踏み込むには。もっと現実的な暮らしを詰めてデザインすることが必要だ。なぜなら暮らしには生計をたてるという側面も当然含まれる。自分では思いもつかないこともある。もっと精進せねば。

普段と違う緊張感の中での2日間。体がとても疲れていたので今日は何もしない日。縁側でハンモックに揺られるのはとても気持ちいい。

2009/07/06

3ヶ月経ちました。

藤野から引っ越して3ヶ月。遠い昔のような気がする。
会社員からの転身。最初は目が回るよう。ただ必死にリンゴの木を倒した。
なんだか何も考えられずに、ただ目の前のことに好きなだけ集中することが楽しかった。

三ヶ月目になって心持ちの変化があった。生活自体に慣れてきた。相方のつわりが収まったことも大きな要因。いままでより自分のことが少しだけはっきりわかるようになってきた気がする。わがままになったと思う。感覚が鋭くなってきたのかもしれない。その分語彙が少なくなってきているようだ。

畑と調理が好きだ。
土が自陣ゴール、人様の口が相手側のゴールとサッカーのポジションに例えてみると、シェフがFWだとすると自分はボランチ、わかりずらい表現だが、自分が心地いい位置のようだ。別に例えなくてもよいのだけど。

娘が「家の人の仕事を手伝う」という宿題をもらってきた。ここぞとばかりに畑仕事の手伝いを頼む。昨日は大豆の種蒔き。今日はほうれん草の種蒔き。ウサギ小屋の移設も一緒にやった。ウサギ小屋の移設は種蒔きの準備も兼ねている。ウサギが食べ残した雑草を刈り、マルチを施す。娘も楽しんでいるようだし、しっかり仕事ができるようになってきた。食卓に並ぶ秋ごろには自分が植えた野菜だと胸を張るであろう。その野菜をみなで分け合って食べる。最高の手伝いだ。畑の様子だが、最近はキュウリが食べきれなくなってきている。5本も6本も毎日は食べられない。ズッキーニが1日1本、ナスももうすぐスイッチが入る。

共同生活はとても楽しい。ここ3ヶ月で自分は何かしらのストレスで暮らしを楽しんでいないと、利己的な考え方に陥ってしまうことを認識した。自分の利益、自分の空間、自分の・・・。そんな時はとても苦しい。でもそんな思いにいたったときは、出来るだけ「幸せになれる考え方かどうか?」と思い起こすようにしている。得と幸は違う。得を取るのであれば、共同生活には無理が生じるようだ。結局、自分だけでは幸せにはなれない。

急に外の空気が吸いたくなって、かねてから偵察をしていた和太鼓サークルに入った。近くの体育館まで練習に参加しに行った。太鼓好きの人がたくさんいてとてもうれしく思う。太鼓を叩いているときは幸せだ。

概ねなかなかいいリハビリ生活だ。自信をもっていれば、相当楽しめる。
写真は同じ牧丘町内のブナ爺さん。乙女高原に行けば出会うことが出来る。