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2009/09/29

近況

先週末にあまりかわいくない・・メッセンジャーが来た。超陽性の騎馬民族系。
ゆかりさん公認の腹違い種違いの弟(笑)とてもうれしい話を聞かせてくれた。
アホで、純粋で、陽気なメッセンジャー。久しぶりに夜中の3時まで焼酎を飲む。
翌日は胃がもたれるのは年のせいか。困ったものだ。

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相方のお腹が目立って大きくなってきた。
予定日は12月の中旬だけど、もう臨月のような大きさだ。さすが二人前。もう胎児は1.5キロくらいはあるだろうと思う。二人分で3キロ、ちょうど生まれてもいい重さだ。胎児の成長は順調だけど、子宮が臨月まで持つかどうか。お腹のハリが恒常的で医者からは入院を勧められているが、入院は避けたいところなので自宅療養にした。飯、トイレ、ちょっとした敷地内の散歩以外は動かず寝ているように監視(!)している。それと血分補給のための日々海草料理を作っている。そのうち入院も必要なのだろうと覚悟と準備をしておこう。心配が募る。

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実は勝沼にあるワイナリーに面接に行ってみた。正社員募集のところを無理言ってバイトで頼み込んでみたんだが、とても興味深いところだったけど残念ながら縁がなかった。でもきっと今は双子ちゃんや相方のそばにいることが自然の流れなんだと思う。日常の仕事や作業に変化が出て多少スローダウンしているが、それも家族と同じ歩調で歩むということなんだろう。その選択ができることが幸せに思う。

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とはいえ、来年の食い扶持もそろそろ真剣に考えなければといったところ。やってみたいことが山ほどあるが、一点に集中できる環境ではない。ある程度絞って現実的な検討が必要だ。養鶏を中心に牧丘ファミリーとしての収益を確保し、遊休農地を新たに自分で借りて果樹の苗を育てつつ野菜作りでもしようかと思う。今年は自給用の畑の余剰分を朝市とかで売ることはあったけど、もうひとつ本格的に収益性を考えたい。来年は都内の販路を確保して、生業としての農にも足を突っ込んでみよう。苗木が成長して果実を得られるようになるまで4~5年。それまでの間は農地を空間的にも時間的にも多重生を重視してみたい。ジャガイモは3月種芋を植えてから7月で収穫できる。かぼちゃは5月に苗を移植して棚に這わせて収穫は8~9月。9月以降に養鶏ができるように3月から雛を育ててもいいかもしれない。土地から搾取するようなことにならないように気をつけよう。

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あまり人には言わないようにしているけど、実はオーラとか気といったように呼ばれているもの(?)が見える。二十歳くらいから見えてたと思う。教壇に立つ教授の背中から出てる気の残像が気になって話を聞かずにそればかり見ていた(笑)見えているのは体にまとわり付くエネルギー、もしくは体の中を流れ、体につなぎ止められているエネルギー。白とか赤とか青とか色が色が付いて見える。それが出ていってしまうことが死ぬということなんだと思う。でも、その力の使い方がよくわからない。経絡とか気の流れを学んでみようと思い始めている。お勧めがあったら是非声を掛けて欲しい。

2009/09/22

mission passion compasion


ゆかりさんの木の植樹をした。
9月19日からキャンプイン。赤富士がとてもきれいだった。
夜はテントを歪ませる突風が富士山から吹いた。懐かしい顔ぶれや初めて出会った人達と火を囲んだ。

当日は朝から子供達も走り回ってとてもいい陽気。みんなでハギの苗を植えた。
みんなでなんとなく協力して、土を盛ったり、水をくれたり、最後にはマルチまでしてみた。さとちゃんがもって来てくれたDVD、ゆかりさんの未公開インタビューをみんなで見た。マメの木にしたのは、マメの木は土壌を豊かにするから。植樹に多くの人が参加してくれて天気もよくて最高の一日だった。

今回で今夏3回目の富士エコ。
とても平和で人にやさしくなれる空間だった。よく人と話をした。こういったイベントを開始して自分がいろんな人と出会えるのもとてもうれしいけど、イベントを通じて自分の知っている人達が初めて出会うことが何よりうれしい。

8月末、ゆかりさんが逝った翌日に感じた彼女の存在感はもうなかった。いろんな人の夢に登場しているみたいだから、世界中を旅しているのかな。それとも、拡散して宇宙に溶け込んだかな?
生のエネルギーが死によって解き放たれると、もっと大きなエネルギーに溶け込んで、またなにかが生まれる瞬間、物質に生のエネルギーの一部が宿る。そんな風に最近思っている。

ゆかりさんの生前の写真。多分一番最後に撮影されたものだと思う。

イベント続きで少々疲れた。が、秋の種蒔きにいそしまねば~!

2009/09/03

追悼キャンプする?


このブログを読んでくれているみなさんへ


一緒にキャンプしない?

夜はちりっと寒くて焚き火が気持ちいい感じ。
「デジャーデンゆかり追悼キャンプIN富士エコ」太字

彼女を知っている人も知らない人も多くの人に来てほしい。悲しいことは分け合おう。
悲しみと絆と魂を感じる時間にしませんか?ゆかりさんがつくった一つのコミュニティーを体感しようよ。その生きた絆が彼女の遺産の一つではないかと思う。

期間は9月19日から23日まで予約しています。ちょうど19日は新月なんで星がよく見えそう。僕らの再生の日としてはいい日だと思う。でも、出来ればゆかりさんのオーストラリアでの葬式にあわせてやりたいと思ってるんだけど、どうでしょう?ゆかりさんが選んだ富士山の麓で一緒に彼女を送ろう。

といいつつも、まだ、葬儀の日程がわからないです。わかったらすぐにアップします。こんな感じのキャンプにあるんだってことを心の準備をしておいてほしいです。本当に適当ですいません。

提案が一つあります。
ゆかりさんの樹木葬をしよう。会場にマメ科の木の苗を持ち寄りませんか?だれかと交換して家で植えたりしてもいいね。ゆかりの木。

その他提案があったらできればみんなにシェアーしてほしい。ワクワクが膨らむから。
音響とかの重設備が必要そうなら相談しよう。

施設の情報だけど、この前イベントを富士エコでやったので、大体の環境がわかりました。持込テントが一つもなくても雑魚寝で70人近くは泊まれます。夜の足湯がとても気持ちいいよ。

食事は食材持ち寄りでどうでしょう。調理器具、窯、炊飯器などは富士エコのを借りられます。もちろん数に限りがあるけどね。全部持ってきてキャンプサイトで自由に作ってもOK。ただし直火NGです。

店をやるのもいいし、カフェをやりたいならやるで自由。ワークショップやるもいいし、好き勝手にやって調和の取れてる世界をつくろうよ。是非Xやら一芸を披露してほしい。みんな違ってみんないい。飲んだくれも才能だから気負わないでやろう。

費用は入場料が1500円、一泊2000円 テント持込の人は1000円位だと富士エコに薪代とか、いろいろ世話になる分きちんとお礼ができるかなと思います。会場までの足だって、なんとかみんなで情報をシェアーすればきっと大丈夫。

みんなで場を作って、集まって、ゆかりさんを感じよう。
そして今自分が生きていることを祝福しよう。

こんな感じ、どう?一緒にキャンプする?

2009/09/02

最後の夜 - ゆかりさん、ありがとう

気が遠くなるほど長いイベントがようやく終わった。

8月28日から30日までのキャンプがもともとの予定。
30日の朝8時に富士エコを出発して、羽田まで送り届けて終了。
28日の朝、小尚さんと待ち合わせてデジャーデンゆかりさんとジュジュ、バーラバージョのメンバーを相模湖まで迎えに行った。

ゆかりさんはとても元気だった。
「わーお、みっちー久しぶりー!」
彼女と一緒の空間にいると、そこにいる誰もが幸せになる。

いつものようにハイパーでいつものように暖かかった。

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富士山の麓でのキャンプ。
富士エコに向かう途中の樹海の道で、木漏れ日が好きだって気持ちよさそう深呼吸をした。自宅の近くにある木漏れ日が最高だって言っていた。とても興奮して、何度もうれしいだの、最高だのって言っていた。富士山がばっちり見えたときは、すぐさま雄たけびを上げていた。彼女は富士山でライブを本当にやりたかったようだ。それが出来て最高にうれしいと何度も何度も興奮気味に言った。

キャンプでは参加したみんなの距離が縮まってくるに従って場の雰囲気が徐々に変わりはじめる。でも、今回ゆかりさんが連れてきたバーラバージョはとてもスピルチュアルな人たちだったから、変化がとても早かったと思う。彼らはジャンベとダンスを媒体に心を一つにする気持ちよさを教えてくれた。

心が一つにすると、その次の瞬間から無条件でそこにいるみんなのことが大好きになっている。それもずっと昔からの友達のように、そのままの相手をそのまま受け入れている自分がいる。みんなも同じように思っているのがわかるから、心から安心することできる。そして彼女と一緒にジャンベを叩き、踊り、みんなで心を一つにした。そうやって場の空気が練りこまれていったのかもしれない。

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29日の夜は最高の夜だった。
結局50名近い人が集まった。

富士エコの隣の牧場からいただいた濃厚牛乳で作ったシチューと石窯で焼いたパンが夕食。みんな手分けして作ってくれた。彼女は会場で遊んでいるジュジュとつづの姿をみてとても幸せそうにしていて、3年後の祭の約束をした。牧丘の和太鼓も最高。バーラバージョの3人がアフリカンなアカペラで登場したときは鳥肌が立った。みんな恍惚と踊りまくった。盛り上がってきて、灯光機で照らされたステージでゆかりさんが踊り始めた。場のうねりがどんどん大きくなっていった。まさに絶頂だった。

一瞬で場の空気が変わった。

突然ゆかりさんが倒れ、音楽が止まった。スイッチが切れたように。ショック、動揺、不安。それがどよめきのように広がった。心臓マッサージや人工呼吸が始まり、場は騒然となった。救急車が呼ばれ彼女は病院に運ばれていった。

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それからのことは断片的にしか覚えていない。
かずとが救急車を呼んでくれて、誘導を仕切ってくれた。さとちゃん達が一緒に病院にいって、ぼくらは呆然とその場に残った。

「すぐ戻ってくるよ。」みんなそう思っていた。でもどきどきして不安で不安でしょうがなかった。少なくとも僕には祈ることしかできなかった。もし彼女でなく自分が倒れたなら、その瞬間、僕の回復のために全身全霊で祈りをささげてくれるだろうと思った。そんな祈りを届けたいと思った。だから、みんなで狂ったように叩いて踊って歌った。

そんな最中、相方が病院に行った友達かかってきた電話の内容を教えてくれた。

うそだ。間違いに違いない。心が受け入れることを拒否していた。世界最悪のお知らせをみんなにしなければならないのに、自分が信じていないことなんか口に出来ない。相方が急遽確認しに行ってくれたけど、彼女は泣きながら電話をしてきた。本当に本当だった。

夜1時過ぎぐらいだったと思う。
すでに直に神戸まで出発するってことになったので車3~4台で病院まで飛ばして顔を見に行った。

そこにはゆかりさんはいなかった。ゆかりさんはいたけど、ゆかりさんはいなかった。あのまぶしくて暖かいエネルギーはもうなくなっていた。病院では魂を感じることができなかった。時間になって、ゆかりさんが神戸に出発した。その場に居合わせたみんなでお別れをした。突然のことでなにがなんだかよくわからなかった。でも、彼女の死は確実だった。

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翌日の朝は、とても天気のいい朝だった。あったかい太陽に涼しい風。富士山がきれいに輝いて見えた。
場の空気でみんな悟っていた。誰も何も言わなくてもみんな感じている。朝からゆかりさんの気配をその場に感じ取れていた。胸の奥に悲しみともショックとも不安とも区別がつかないなにかを抱えつつも、静かで落ち着いたゆったりした時間が過ぎた。富士エコのスタッフの皆さんが作ってくれたおにぎりと味噌汁。心遣いが泣けるほどうれしかった。

でも、僕は困っていた。
悲しいことは共有したほうがいいに決まっている。でも、みんなの悲しみと混乱をちゃんと受け止める自信がない。でも、それがこの場所での自分の使命に違いないとなんとなく思っていた。他のみんなが勇気をくれたから、結局まるく座って、ジュジュも一緒にみんなで、一人一人ゆかりさんのことを話した。

言葉にはならないけど、ゆかりさんのメッセージはみんな受け取っている。
悲しみに浸ることは決して彼女は望んでなんかいない。「死は再生の始まり。循環の中に身をおくことは、とてもすばらしいことだと思わない?」ときっと彼女はそう微笑むだろう。だから、悲しみの消化を始めるきっかけを、前向きになれるきっかけを必死に探していたんだと思う。

富士山から吹く風が彼女のスピリットを感じさせてくれた。
あの時あの場所には拡散して場に溶け込んだ彼女のエネルギーが確かに存在していた。

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イベントの締めをしてからは、それこそ目が回るようだった。
参加者の送迎、片付け、次のイベントを主催する方への連絡、バーラバージョの移動の手配。
訃報が発信されてから、いろんな方から連絡を頂戴した。改めて彼女が築いてきたつながりの大きさにただ驚いた。
思えば、彼女が引き合わせてくれた友達は数多い。それも最高に気持ちのいい人たちだ。
きっと彼女と知り合った人は、みんなそう感じているに違いない。

急がしさがありがたかった。

結局、バーラバージョを関空まで送り届ける流れになり神戸に行くことになった。
ゆかりさんと最後のお別れをすることができた。そして、多くの友人達と悲しみを分かち合うことができた。
改めて絆を感じた。彼女の死は僕らを強く結びつける。

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自宅に戻り一晩明けた今もとても悲しい。
雪が積もるように悲しさが降り積もってくる。時折降り積もったものがあふれ出てくる。
僕は彼女のことが大好きだった。もうあのまぶしい暖かさと触れ合うことはできない。
でも、天と地に溶け込んだ今は、どこにいても彼女のスピリットを感じることが出来る。

今回のイベントで友達になったようこさんから、ゆかりさんからうけとった手紙を読ませていただいた。
それは彼女がご主人とオーストラリアに移住した直後の状況を知らせる手紙だった。大工仕事とガーデンつくりの毎日、現金収入をどう確保するかについての悩み、子供のこと、でもつながりの中で光明を見出しつつあって、大変だけど夢と理想に懸命にチャレンジする姿が綴られていた。手紙にあった状況は、まさしく今現在の牧丘と同じだった。今のゆかりさんは突然今の姿になったのではなくて、一つ一つ積み上げてきた結果だったんだ。やっぱり僕らは間違っていない。僕らの葛藤は、ゆかりさんが乗り越えた葛藤だった。それが心底うれしかった。

彼女から受け取ったメッセージはなんだったんだろう。まだ、書くほどには整理されていない。今を全身全霊でいきること。自分を愛すること。愛されていることを自覚すること。そして人を愛すること。愛するということは光を放つことなんだ。強烈に引き渡されたバトンを紡いでいこう。自分に必要な力はすでに備わっていると信じて、光を放って生きたいと思う。

そして、ゆかりさんが残した大きなつながりを、残された僕らの絆にしていきたいと強く思っている。
彼女が好きだった歌。去年のキャンプで歌った歌。またみんなで歌いたいな。

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一人の手  

ひとりの小さな手 何もできないけど 
それでも みんなの手とあわせれば
何かできる 何かできる

ひとりの小さな目  何も見えないけど
それでも  みんなの瞳でみつめれば
何か見える  何か見える

ひとりの小さな声  何も言えないけど
それでも  みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える

ひとりで歩く道  遠くてつらいけど
それでも  みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる  長い道も

ひとりの人間は  とても弱いけど
それでも  みんなが集まれば
強くなれる  強くなれる
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大好きだったゆかりさん。もう彼女はいない。
彼女のかっこよすぎる最後に居合わせることができて本当に幸せに思う。
彼女の遺したメッセージを糧に強く太く生きていこう。ありがとう、ゆかりさん



最後に、魂をつなげてくれたバーラバージョのサム、ニヤマ、ジョン、太鼓を叩きに来てくれた紅富士太鼓のみんな、受付とか会計やら仕切ってくれたナカイチ、サムたちのチケット変更の手配を行ってくれたロンとみゆき、ジュジュの送迎やゆかりさんのご親族とやり取りしてくれたヒロ、送迎を手伝ってくれた小尚さん、病院での対応をしてくれたさとちゃんとこーたろー、ゆかりさんの心マを懸命にしてくれたみんな、一緒に踊ってくれたアキちゃん、夜ご飯を作ってくれたりゆうか、さやちゃん、あさ、えりか、手紙をみせてくれたようこさん、僕が失敗した石釜の火入れを復活させてくれたチコ、ジャンベを貸してくれた末木さん、僕が一番気になっていたジュジュと遊んでくれた福の神とラブ、朝ごはんと昼ごはんや作ってくれた富士エコのみんな、写真を撮ってくれたレベッカ、牧丘のつながりを押さえてくれたじーの、みんなを落ち着かせてくれたタイガー、他のイベント主催者への連絡をしてくれた相方ののぞーる、イベントに参加してくれたみんな、ほんとはみんなの名前を挙げたい。みんなと幸せと悲しみを共有できて本当によかった。ありがとう&愛してるぜ。また一緒に遊ぼう!