気が遠くなるほど長いイベントがようやく終わった。
8月28日から30日までのキャンプがもともとの予定。
30日の朝8時に富士エコを出発して、羽田まで送り届けて終了。
28日の朝、小尚さんと待ち合わせてデジャーデンゆかりさんとジュジュ、バーラバージョのメンバーを相模湖まで迎えに行った。
ゆかりさんはとても元気だった。
「わーお、みっちー久しぶりー!」
彼女と一緒の空間にいると、そこにいる誰もが幸せになる。
いつものようにハイパーでいつものように暖かかった。
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富士山の麓でのキャンプ。
富士エコに向かう途中の樹海の道で、木漏れ日が好きだって気持ちよさそう深呼吸をした。自宅の近くにある木漏れ日が最高だって言っていた。とても興奮して、何度もうれしいだの、最高だのって言っていた。富士山がばっちり見えたときは、すぐさま雄たけびを上げていた。彼女は富士山でライブを本当にやりたかったようだ。それが出来て最高にうれしいと何度も何度も興奮気味に言った。
キャンプでは参加したみんなの距離が縮まってくるに従って場の雰囲気が徐々に変わりはじめる。でも、今回ゆかりさんが連れてきたバーラバージョはとてもスピルチュアルな人たちだったから、変化がとても早かったと思う。彼らはジャンベとダンスを媒体に心を一つにする気持ちよさを教えてくれた。
心が一つにすると、その次の瞬間から無条件でそこにいるみんなのことが大好きになっている。それもずっと昔からの友達のように、そのままの相手をそのまま受け入れている自分がいる。みんなも同じように思っているのがわかるから、心から安心することできる。そして彼女と一緒にジャンベを叩き、踊り、みんなで心を一つにした。そうやって場の空気が練りこまれていったのかもしれない。
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29日の夜は最高の夜だった。
結局50名近い人が集まった。
富士エコの隣の牧場からいただいた濃厚牛乳で作ったシチューと石窯で焼いたパンが夕食。みんな手分けして作ってくれた。彼女は会場で遊んでいるジュジュとつづの姿をみてとても幸せそうにしていて、3年後の祭の約束をした。牧丘の和太鼓も最高。バーラバージョの3人がアフリカンなアカペラで登場したときは鳥肌が立った。みんな恍惚と踊りまくった。盛り上がってきて、灯光機で照らされたステージでゆかりさんが踊り始めた。場のうねりがどんどん大きくなっていった。まさに絶頂だった。
一瞬で場の空気が変わった。
突然ゆかりさんが倒れ、音楽が止まった。スイッチが切れたように。ショック、動揺、不安。それがどよめきのように広がった。心臓マッサージや人工呼吸が始まり、場は騒然となった。救急車が呼ばれ彼女は病院に運ばれていった。
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それからのことは断片的にしか覚えていない。
かずとが救急車を呼んでくれて、誘導を仕切ってくれた。さとちゃん達が一緒に病院にいって、ぼくらは呆然とその場に残った。
「すぐ戻ってくるよ。」みんなそう思っていた。でもどきどきして不安で不安でしょうがなかった。少なくとも僕には祈ることしかできなかった。もし彼女でなく自分が倒れたなら、その瞬間、僕の回復のために全身全霊で祈りをささげてくれるだろうと思った。そんな祈りを届けたいと思った。だから、みんなで狂ったように叩いて踊って歌った。
そんな最中、相方が病院に行った友達かかってきた電話の内容を教えてくれた。
うそだ。間違いに違いない。心が受け入れることを拒否していた。世界最悪のお知らせをみんなにしなければならないのに、自分が信じていないことなんか口に出来ない。相方が急遽確認しに行ってくれたけど、彼女は泣きながら電話をしてきた。本当に本当だった。
夜1時過ぎぐらいだったと思う。
すでに直に神戸まで出発するってことになったので車3~4台で病院まで飛ばして顔を見に行った。
そこにはゆかりさんはいなかった。ゆかりさんはいたけど、ゆかりさんはいなかった。あのまぶしくて暖かいエネルギーはもうなくなっていた。病院では魂を感じることができなかった。時間になって、ゆかりさんが神戸に出発した。その場に居合わせたみんなでお別れをした。突然のことでなにがなんだかよくわからなかった。でも、彼女の死は確実だった。
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翌日の朝は、とても天気のいい朝だった。あったかい太陽に涼しい風。富士山がきれいに輝いて見えた。
場の空気でみんな悟っていた。誰も何も言わなくてもみんな感じている。朝からゆかりさんの気配をその場に感じ取れていた。胸の奥に悲しみともショックとも不安とも区別がつかないなにかを抱えつつも、静かで落ち着いたゆったりした時間が過ぎた。富士エコのスタッフの皆さんが作ってくれたおにぎりと味噌汁。心遣いが泣けるほどうれしかった。
でも、僕は困っていた。
悲しいことは共有したほうがいいに決まっている。でも、みんなの悲しみと混乱をちゃんと受け止める自信がない。でも、それがこの場所での自分の使命に違いないとなんとなく思っていた。他のみんなが勇気をくれたから、結局まるく座って、ジュジュも一緒にみんなで、一人一人ゆかりさんのことを話した。
言葉にはならないけど、ゆかりさんのメッセージはみんな受け取っている。
悲しみに浸ることは決して彼女は望んでなんかいない。「死は再生の始まり。循環の中に身をおくことは、とてもすばらしいことだと思わない?」ときっと彼女はそう微笑むだろう。だから、悲しみの消化を始めるきっかけを、前向きになれるきっかけを必死に探していたんだと思う。
富士山から吹く風が彼女のスピリットを感じさせてくれた。
あの時あの場所には拡散して場に溶け込んだ彼女のエネルギーが確かに存在していた。
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イベントの締めをしてからは、それこそ目が回るようだった。
参加者の送迎、片付け、次のイベントを主催する方への連絡、バーラバージョの移動の手配。
訃報が発信されてから、いろんな方から連絡を頂戴した。改めて彼女が築いてきたつながりの大きさにただ驚いた。
思えば、彼女が引き合わせてくれた友達は数多い。それも最高に気持ちのいい人たちだ。
きっと彼女と知り合った人は、みんなそう感じているに違いない。
急がしさがありがたかった。
結局、バーラバージョを関空まで送り届ける流れになり神戸に行くことになった。
ゆかりさんと最後のお別れをすることができた。そして、多くの友人達と悲しみを分かち合うことができた。
改めて絆を感じた。彼女の死は僕らを強く結びつける。
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自宅に戻り一晩明けた今もとても悲しい。
雪が積もるように悲しさが降り積もってくる。時折降り積もったものがあふれ出てくる。
僕は彼女のことが大好きだった。もうあのまぶしい暖かさと触れ合うことはできない。
でも、天と地に溶け込んだ今は、どこにいても彼女のスピリットを感じることが出来る。
今回のイベントで友達になったようこさんから、ゆかりさんからうけとった手紙を読ませていただいた。
それは彼女がご主人とオーストラリアに移住した直後の状況を知らせる手紙だった。大工仕事とガーデンつくりの毎日、現金収入をどう確保するかについての悩み、子供のこと、でもつながりの中で光明を見出しつつあって、大変だけど夢と理想に懸命にチャレンジする姿が綴られていた。手紙にあった状況は、まさしく今現在の牧丘と同じだった。今のゆかりさんは突然今の姿になったのではなくて、一つ一つ積み上げてきた結果だったんだ。やっぱり僕らは間違っていない。僕らの葛藤は、ゆかりさんが乗り越えた葛藤だった。それが心底うれしかった。
彼女から受け取ったメッセージはなんだったんだろう。まだ、書くほどには整理されていない。今を全身全霊でいきること。自分を愛すること。愛されていることを自覚すること。そして人を愛すること。愛するということは光を放つことなんだ。強烈に引き渡されたバトンを紡いでいこう。自分に必要な力はすでに備わっていると信じて、光を放って生きたいと思う。
そして、ゆかりさんが残した大きなつながりを、残された僕らの絆にしていきたいと強く思っている。
彼女が好きだった歌。去年のキャンプで歌った歌。またみんなで歌いたいな。
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一人の手
ひとりの小さな手 何もできないけど
それでも みんなの手とあわせれば
何かできる 何かできる
ひとりの小さな目 何も見えないけど
それでも みんなの瞳でみつめれば
何か見える 何か見える
ひとりの小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える
ひとりで歩く道 遠くてつらいけど
それでも みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる 長い道も
ひとりの人間は とても弱いけど
それでも みんなが集まれば
強くなれる 強くなれる
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大好きだったゆかりさん。もう彼女はいない。
彼女のかっこよすぎる最後に居合わせることができて本当に幸せに思う。
彼女の遺したメッセージを糧に強く太く生きていこう。ありがとう、ゆかりさん
最後に、魂をつなげてくれたバーラバージョのサム、ニヤマ、ジョン、太鼓を叩きに来てくれた紅富士太鼓のみんな、受付とか会計やら仕切ってくれたナカイチ、サムたちのチケット変更の手配を行ってくれたロンとみゆき、ジュジュの送迎やゆかりさんのご親族とやり取りしてくれたヒロ、送迎を手伝ってくれた小尚さん、病院での対応をしてくれたさとちゃんとこーたろー、ゆかりさんの心マを懸命にしてくれたみんな、一緒に踊ってくれたアキちゃん、夜ご飯を作ってくれたりゆうか、さやちゃん、あさ、えりか、手紙をみせてくれたようこさん、僕が失敗した石釜の火入れを復活させてくれたチコ、ジャンベを貸してくれた末木さん、僕が一番気になっていたジュジュと遊んでくれた福の神とラブ、朝ごはんと昼ごはんや作ってくれた富士エコのみんな、写真を撮ってくれたレベッカ、牧丘のつながりを押さえてくれたじーの、みんなを落ち着かせてくれたタイガー、他のイベント主催者への連絡をしてくれた相方ののぞーる、イベントに参加してくれたみんな、ほんとはみんなの名前を挙げたい。みんなと幸せと悲しみを共有できて本当によかった。ありがとう&愛してるぜ。また一緒に遊ぼう!
8 コメント:
本当にお疲れさま。
そして、この日記書いてくれてありがとう。
私たちも今日、相模湖でゆかりさんを偲ぶ会をやりました。
ひとりの小さな手、
歌ったら泣いちゃうかなと持ったけれど、
なんか、にぎやかな雰囲気で、
ドラム缶風呂に入ったりして、
そんな、なんと行ったらよいか暖かい会になりました。
もちろん、ゆかりさんのこともいろいろ話したりして。
現場にいた、さとちゃんたちも来てくれました。
ゆかりさんがいる感じは、相模湖でも感じられたよ。
なんだか、不思議な数日間でした。
疲れが出ないようにご自愛くださいね。
キャンプ、行きます。
みっちー
詳細な状況報告をありがとう。
今は何とも言えないけれど、深い愛情を感じます。
くれぐれも無理しないでね。皆を愛しています。
深い感謝の気持ちをこめて。
ごとうしんきち
偲ぶ会にリラさんが来てくれました。
彼らのビデオを見て『アフリカの土着の魂のような大きなエネルギー体を感じ、それがゆかりさんの死と無関係とは思えない』と語っていました。
富士の嶺で、一瞬にして魂を引き抜かれて上げれて亡くなったようなゆかりさんの死は、アフリカのエネルギー、地球の魂、と繋がっているのかもしれません。
ゆかりさんがイベントのチラシに『地球のメッセンジャー・デジャーデンゆかり』と書いていましたが、もしかして本当に地球のメッセンジャーになったのかもしれませんね。
のぞーるさんが、我が家に電話してくれた時に、ゆかりさんは富士のイベントに多くの人が参加してくれることを
ものすごく喜んでいました。『私はこのイベントに一番わくわくしているの!!』ということも。。。(一瞬、えっ!?藤野は!?なんて思いましたが・・・)
きっと、ゆかりさんにとって最高の場だったのだと思います。
本当にありがとうございました。
みっちー、本当にお疲れ様でした。
まだまだ消化できずにいるけれど、
次の朝に、全員で車座で想いをシェアする場を造ってくれたのには本当に感謝してます。
あの瞬間は本当に気持ちよい風が吹いていて、ゆかりさんのエネルギーが存在しているのを強く感じました。
僕はゆかりさんに会ったのはあの日が初めてだったけど、本当に大きなものを受け取ったのを実感します。
パーカルとアフリカンの融合路線? も広げていきたいので、また遊びましょう!
この日記をありがとう。
ゆかりさんと出逢ったオーストラリアの日々、
そしてゆかりさんからもらったもの、
思い返しています。
いつもとびきりの笑顔。
みんなゆかりさんに大切なものをもらったね。
たくさん。たくさん。
ゆかりさんに出逢えてほんとにうれしい。
みっちーさんへ
どうもありがとう。
うまく言葉がみつかりませんが、
本当にお疲れ様でした。
みっちーさん、詳報ありがとう。
正直、日曜日に第一報を聞いた時は、現実感が持てませんでしたが、少ししたら心に穴が空いたみたいになっていることに気がつきました。
「ひとりの小さな手」は、ひとりで歌ってみたらやっぱり少し泣いちゃいましたが、その分、心の中には何か暖かいものも流れてきたように感じます。
ありがとうございました。
はじめまして、みっちーさん
この日記を書いてくれて、
本当に どうもありがとうございました。
ようやく ゆかりさんのことを 私の中で納得できそうです。
ゆかりさんの思いを引き継いで
大切に育てていきたいです。
愛と感謝をこめて。。。
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