牧丘に引っ越したのとほぼ同時に判明した相方の妊娠。
初夏はつわり、初秋からの入院。一昨日ついに生まれた。元気な赤ちゃんが出てきた!
彼女は先週からとても血圧が高かった。
ウテメリンの点滴をはずしてからは顕著だった。胎児の成長と相方の体への負担、その負担が血圧という形で計測できていた。血圧は心臓が押し出す血流の強さ。強くなければキチンと循環しないから高くなる。血栓で詰まればまずいことになるし、特に出産時はただでさえ血圧が高くなる。先生と相談して早いとこ出しちゃおうってことになった。
9時過ぎに促進剤の点滴開始。最初は12ml/hrから、40分毎に12mlづつ増やしていった。昼くらいまでは、学校を早退した娘と一緒になんともなく元気にしていた。13時過ぎから周期性の痛みが始まった。促進剤の数値は72ミリリットル、1分くらいの痛みが続く。最初は5分くらい間隔開いていたのが段々短くなる。2時くらいには歩けるうちに陣痛室にってことで、分娩室の横にある薄暗い小部屋に通された。陣痛室には大部屋のよりちょっといいベッドが置いてあるらしい。相方は笑いながら歩いていった。
痛みがだんだん大きくなってくるようで、徐々に顔から余裕がなくなってきた。看護師さんや助産師さんがなんとなく忙しくいろいろ準備をしている。段々痛がらないほうが短くなってきたかな~と思っていたら、分娩室に通された。もちろん娘も一緒に。緑の医療用のエプロンを二人でつけた。リキんでOK、になってから一時間くらいだったかな。16:10に歌が出てきて、16:30に弦が出てきた。鼓の時より短かったし、相方のいきみ方も軽かったように思う。印象的には安産だった。
日も落ちて、お疲れ~無事でよかったね~なんて言いあってたら、相方の様子がおかしい。血圧が落ちず、息が苦しいらしい。酸素マスクをつけると息が整う。寒さを訴え、熱もあった。出産後にはままあるようなので、しばらく様子を見ようなんてことになったけど、いつまでも熱も呼吸も落ち着かなかった。先生が大学病院に搬送しようって話をし始めた。酸素濃度をあげないと息が整わないのは、何らかの事情で肺の機能が低下しているということ。でもここじゃ検査できないので特定できない。だから大学病院で検査と処置を受けてほしい。そう言われた。
疲れているというだけの状態ではなかったので、相方もすぐに納得した。すぐに救急車で搬送された。後ろから車を運転して一人で付いていった。車中は焦りとビビリと悲しさと不安。吐きそうだった。出産に付きまとう死については意識はしていたし、もし相方が娘と自分を残してということも・・覚悟せねばと考えたこともあった。でも双子と長女で3人となると話が全然変わってくる。想像を絶した。でもそれは杞憂だった。
いろんな方にご心配をかけたが、今はもうとうに山を越えた感じ。もうちょっと入院が続くが、ここから先は流れでうまくいくような気がする。気力もあるし、彼女が生理的に元気さを取り戻すために必要な時間を消化していけばいい。とはいっても、大学病院は酷だ。がんばれ。彼女は、週が浅く出てきてしまって育成機で点滴を打たれるハズだった双子の身代わりになってくれたんだと思うようにした。いつも母は偉大だ。
娘は小さなママになると母性全開中だ。相方が入院してから1.5ヶ月、お母さんが死んでしまうかもしれない不安。彼女が独り占めしていた大人の視線が双子達に向けられてしまう寂しさの反面、世話をする側に立つうれしさを感じている(らしい)。なかなか複雑な心境なハズだけど、それもちゃんと受け止めている。出産に立ち会うことも自分で決めた。相方が大きな病院に入院している間、別の病院にいる赤ちゃんの世話は自分がするといてはりきっている。彼女は以前と比べてしっかり者になったように思う。そして今までにないやさしい表情をするようになった。双子の出産で一人娘はお姉さんになった。そのこともとてもうれしい。