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2009/10/27

双子の名前

相方の入院もそろそろ3週間ほど経過した。
やる気はあれどもさすがに息切れしてしまった。ここ3日はお休みな感じとしている。
多くの人に心配していただき、応援の言葉をいただく。ありがたいことだ。

双子の名前を決めた。一人目の時は、ある日突然車の中で相方から告げられたから、もちろんいい名前なので賛成したけど、名前をあれこれ考えるのも楽しみたいってことで、2番目が出来たら自分の番だということになっていた。しばらく考えた。最初に世に出てくるのは女の子。歌(うた)と名付けた。2番目に出てくる子は男の子。弦(げん)とした。鼓も合わせて3人でも、2人でも、1人でもそれぞれの人生を奏でられるように。

実は出産まで後3週間ほどだと言われている。予定日は12月17日だけど誕生日は1ヶ月ほど早くなる。おかげさまですくすく育った双子はそれぞれが世間の胎児の標準体重をわずかに上回り、32週ですでに合計4キロ以上になっている。一人ならとても大きな赤ちゃんだ。本来の予定日まで引っ張るとだと母体のキャパを物理的に越えてしまうようだ。うまくいけば後2週間位で相方に24時間お供しているウテメリン点滴が外れ、自然に陣痛を待つようになる。

点滴液を常時腕から注入され、ベッド上での安静を強いられている相方に体の変化が出てきたように思う。。お腹は大きくなる一方だけど、体の線が細くなってきた。胎児に吸われているのもあると思うけど、筋肉が落ちた感じもある。あまり動けないから血流も悪い。病院食は彼女が今まで避けてきたいわゆる栄養学的な食事。肉と生野菜でバランスを取らざるを得ない。しかも24時間5%ブドウ糖が入った動悸や震えを引き起こす液体を注入されている。(子宮を緩ますためね。)陰性に傾くじゃん。病院には塩、味噌など調味料を持ち込みせめてもの抵抗。肉を少々残して、ちょい濃い目の味付けで副菜をいただく。事前に梅肉エキスを一匙舐める。家から煮物とかをたまにもっていく。この数週間で煮物が少しうまくなった。それと妊婦にはリンパマッサージがとてもよく効く。足の付け根に施すと調子が落ちない。妊婦を妻に持つ自分が直接妻の健康に貢献できる唯一のことだ。世の男性にも妊婦マッサージを勧めたいと思う。

出産入院はとても大変だけども、家族の絆はとても深まった思う。大変だからこそなのかな。このまま歌と弦が元気に誕生し、相方が元気に返ってくることを切に願う。

2009/10/19

麦の種蒔き


先週から麦に追われている。

それもそろそろ一段落だ。ふぅ新しく何かやるときには、段取りがある。
いくつかの手順を踏まないと、ことがうまく運ばないことが多い。今回の麦もそんな感じだった。最近、なにかやるときは最初の一手が後になって響いてくることが多くて、なるべく、時間はかかるけど丁寧にやることを心がけている。

麦を植えるところは、3分の一ほど収穫前の大豆の植わった所。棟梁が春先に作った薪置き場の一枚。1反弱。大豆のところ以外は草がぼうぼう。かれたリンゴの木も林立していた。雑草を刈り倒し、落ちている長尺の針金を拾い、たばね、木の枝を払ってからリンゴを倒し、幹と枝を分けて積み上げる。刈ってからしばらくして乾いた雑草を積み上げる。ところが雑草の量が半端なくて背丈くらいの雑草の山4つ分。急遽一枚上の畑にたまねぎやにんにくの定植用の畝を作って、新聞引いてその上に雑草を撒き散らしてマルチにした。通路も全部マルチできた。

最近、なるべく日常の作業、特に畑の作業にいろんな意味合いを持たせてモティベーションを高めようとしている。麦を植えるためにリンゴの木を倒すんだけど同時に薪準備になっていたり、雑草を刈るのはマルチ材の収穫っていう意味合いもあったりする。それと麦藁は養鶏に使えるかな。ここに植える麦やそろそろ収穫の大豆も、近いうちに家族の血となり肉となるんだな~っと思ってみたりする。どんな風に食べようか。味噌?うどん?食うことばっかりだ。そんなことを考えながら作業を進めると楽しい。

作業には農機具が大活躍だ。刈払機、チェーンソウ、耕耘機。開拓するには必須アイテムだと思う。今回の作業は、大豆の上から麦を蒔いてみたい。来月には収穫する大豆。今から麦を蒔いて麦がちゃんと育つのかな?だめもとで実験。麦の収穫は6月(?)、6月のその場所はうっそうとしていた。だからある程度雑草たちを弱くしておきたいから株間を鍬でちょっとすきこんでみる。ところがかつて雑草負けして救出された大豆たちは実付きはいいものの蔓化して地面にへばりついている。鍬が入れられない。急遽リンゴの木で支柱を何十本も作って一本一本起こしてあげた。大豆の周りの雑草をキチンと刈っておけば、この作業は生じなかったハズだから、サボらずにやろうと思ったりする。最初の手間が大事なんだ、そして常に今は最初とまた刷り込まれる。鍬の扱いを間違って大豆の株を4本も切ってしまった。枝豆として食べたが、むちゃくちゃうまかった。

ようやく主だった雑草たちが除草され、軽く熊手で残りの雑草を取り除いたあと、ようやく耕耘機の出番。これまた一日かかりの作業。たてに耕し横にも耕し合計2回機械を回して終了。手の平の一番へこんだところにマメが出来た。耕耘機なんてものは最後の仕上げの作業だ。

かくして10日ほどかかった麦の植付準備も完了!。後は手押し種蒔き機というものを入手したのでそれで蒔けばいいと思っていたら、実際使ってみたらうまく稼動しない・・・。結局ばら撒きをすることになった。品種はたーぼさんからギャザリングでいただいたユキチカラ。どんな麦になるか楽しみだ。種蒔きは牧丘に遊びに来た友達が種蒔きを手伝ってくれた。3~4人くらいで肩を並べて小刻みに歩きつつぽろぽろ種を落としながらその後を踏んでいった。助けがあるとほんとに助かる。一人でやったら一日作業だった。

さぁ、どんな麦が出来るか、楽しみだ。収穫できたら一緒にうどん?パン?を楽しもう。

2009/10/08

博士と一緒 - 養鶏見学ツアー①



友達の博士と一緒に養鶏場を二ヵ所見学した。

見学したのは神奈川県小田原のあいらんどという養鶏場、そして群馬県沼田市にある子持自然恵農場。二つとも、かつて養鶏を営んだ博士のお勧めの養鶏場だ。平飼いの自然養鶏というスタイルの中で、とても対照的な養鶏場だった。台風18号が迫りつつあるあいにくの雨中の見学ツアーだったが、とても大きな学びがあった。

一つ目の小田原の養鶏場は「発酵利用の自然養鶏」という本を書かれた笹村出さんが経営している。地域から排出される資源などを飼料として利用して養鶏を営んでいられる。おから、ふすま、そばぬか、米ぬか、鰹節の出し殻、お茶の絞りかす、みかんジュースの絞りかすなどなどくず米以外には金を掛けずに健康な鳥、生命力のある卵を育てている。鶏の健康のポイントはいろいろあろうが、そこでは好気性発酵と嫌気性発酵を組み合わせながら飼料作りを行い、鶏舎の床がすべてと常に発酵状態にしている。床をほじったらあったかい。ここでのいい卵の定義はいい雛ができる卵。
養鶏は観察だと著書に書かれている笹村さん、長年の経験によってか作業はポイントを抑えつつ、とてもおおらかに、かつ適当に見えた。おからをベースに嫌気性発酵させるサイレージ作り。乳酸菌を食べさせて鶏を病気に強く健康にするらしい。その他の穀物やたんぱく質系の飼料は好気性発酵させて雑菌を死滅させると共に卵の味を作る。発酵させることで生臭さがなくなるそうだ。
見学中に見聞きした技術的な部分の記載はさておき、感想を一言にするととても「身の丈」にあった養鶏方法だと感じた。片手間+ちょっとくらいでうまく回せる現場がちょうどいいスタンス。ニワトリ達も落ち着いていて幸せそうだ。地域ででる資源を再利用して作る卵。うまい・まずいは生業として当然コントロールするものの、地域に循環の輪を作るだけでなく、その輪の中でどんな卵ができるか、地域にも責任の一旦を背負わせるようなスタンスはとても面白いと思った。この養鶏なら自分にも出来るかも知れない。そう思わせてくれるサイトだった。

二つ目の沼田の養鶏場では養鶏のみならず農を生業にするということについて、目からうろこが落ちた。高い志や自然養鶏ノウハウ、そして価格という意味でも日本一の養鶏場かもしれない。まったく臭いがしなかった。(自分が養鶏場をきちんと評価できるとは思わないが・・・)卵一個100円。スーパーでは1個20円程度だ。どんな卵なんだ?

最初に面食らったのは、初対面の挨拶直後に質問された言葉。「養鶏を通じてなにを提供したいのか?なにを貢献したいのか?」直後は意味があまりよくわからなかった。
子持自然恵農場でのいい卵の定義は、健康な人ももっと健康にする卵。鶏が健康な人間よりさらに健康でないとそれは不可能だ。だから、誰よりも健康な鶏を育てることを実践している。人の口に入るものは、人の健康を左右する。健康を左右するということは、その人の人生を左右するということだ。だから本当に健康にこだわって養鶏をしている。案内していただいた瀬戸さんは、養鶏を通じて医者、薬剤師と同じだと教えてくれた。見てくれだけでなくて、本当に生命力のあるものを作る。生体エネルギーにあふれる独自の飼料を使い、自然の力を最大限借りることが出来るように鶏舎にこだわり、鶏の潜在能力を最大限引き出すように育て、産み疲れすることがないように産卵率を抑えている。

また、「環境」についてもいろいろ話をしてくださった。多くの人が感じているように自然環境は劣化している。その劣化した環境でできた食べ物で育てた鶏が人以上に健康になれますか?と問いかけられた。リサイクル資源で育てた鶏は、不健康な人のマイナス分をプラス方向に引き上げられたとしても、健康な人をより健康にすることはできないと断言された。だから、まず劣化した環境や畑に活力ある地力を取り戻さなければならない。生命力に溢れる土をつくること。その地力を利用する農業はみな同じ。養鶏も野菜も果樹もその媒体の一つであると語ってくれた。目に見えない生命力や生体エネルギーに目と心を開き、その自然の摂理ともいえる力を養鶏に利用している。発酵や微生物利用という観点からもう一歩踏み込んだ感じだ。感じるでなく、頭で理解しようと思うととても難解だ。

最初に質問されたこと、なにを提供したくて、なにを貢献したいのか?、彼はその「思い」がないと始まらない、思いの置き所が定まれば、技術的なやり方なんかいくらでもあるとそう言った。あれっ?PC的にはコンセプトデザインのことだ。確かに、金勘定で始める場合、健康を重視したり、安心を重視したり。それによってプロセスがずいぶん違ってくるだろう。「この人になにを提供し、どう貢献したいのか?」そういわれた時には家族のことを思った。多分今の自分はそこが根っこにあるんだろうと思う。それに瀬戸さんは「時は金なりという。でも本当は時は命なり。命がけでなにをするか。それが面白い。だから農業は面白くてやめられない」とも言っていた。そんな志をもって農業をやっている人に初めてであった。探求しているその深さを知れただけでも、とても幸せなことだ。

二つの養鶏場は対照的だが、自分の中では彼らの最終的なゴールは同じような気がする。かたや循環に重きを置きつつ、養鶏を通じた結果を現状として受け入れ、かたや理想の状態にすることを重要視している。残念なのは、結果としてそれぞれで出来た卵の質が違ってしまうということだ。地力がもっと強ければ、環境の劣化を進んでいなければ、きっとプロセスが違えど、結果は同じだっただろうと思う。まだ整理できていないが、自分は自然の循環の中で生きていることを実感できて、それによって心から安心できるようなものを提供したい。そして心と体が元気になるものを作りたい。そう思った。ボーっとしてると金稼ぎに走ってしまう自分を戒めねば。

いける状況だったら、出来れば雛を入れる春先にいずれかのサイトに1ヶ月ほど研修に行きたいと思う。ありがたくも双方とも受け入れてくれそうな感じだった。数ある養鶏場の中でこの二つを博士と見学したことは、なにやら必然のように感じている。小田原には博士と友族5人でいったのも、これも必然かな?

2009/10/04

平和な日・心配な日々

今日は娘の運動会だった。
朝6時半に狼煙の音で運動会が予定通り開催されることを知り、直後同じ部落の人たちと一緒に公民館にあるテントを校庭に設置した。都会の学校のような席取りもなく、悠々とした雰囲気の中で和やかに開催された。全校生徒56人。全体的にゆるい感じだけど、出場している子供達は大変だ。ほぼすべての競技に参加することになるので、なかなか忙しそうだった。友族も途中参加してくれて巨峰の丘音頭という盆踊りをみんなでグデグデながら一緒に踊る。一輪車に軽快に乗る娘の姿を見るのは純粋に驚きだ。そんな運動神経がわれら夫婦から生まれるとは・・!なかなかいい休日だった。


とはいえ、心配なことも。
昨日、検診に行った相方が突然の入院宣告を受けた。後2週間は家にいられると踏んでいたのに・・。
自宅療養ということで実際にメシ、トイレ以外は寝そべっていたのに、この2週間で切迫流産の傾向は強まっていた。いずれはと思っていた所なので覚悟して入院することになった。

運動会の参加も止められていたけど不参加はあり得ない。そして運動会の弁当は母親が作るもんだと譲れない部分を持つ相方は朝5時に起きてきっちり得意料理の弁当を作った。でも、本当はあれもこれも作りたかったに違いない。運動会が終わって、そのまま病院に向かった。予定は2ヶ月とちょっと。クリスマスには無事に帰ってこられると思っている。

出産は命懸けだから死と隣りあわせ。なくもない相方の死を思う。娘も感じている。覚悟はしなければならない。でも、それは本当はいつだって覚悟があって然るべきなんだとも思う。自分もいつ死ぬかわからない。自分もそうやって生まれてきたんだな~。帰ってくるまでの期間は、自分にとっても、娘にとっても一つの試練だと思う。これから少しの間、自分が家庭の生活のリズムを刻まなければならない。娘には、「一緒に乗り越えていこう」というスタンスで接したいと思っている。不安もあるけど、楽しくなるようにやってみよう。