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2009/12/21

メール受信できません

連絡です。
普段使っているメールアドレス、
greenlielabo@cpost.plala.or.jpのアドレスが現在受信不能です。
再開したらまた報告します。

みっちー


2009/12/19

双子と畑仕事

ご無沙汰しております。
なんとかやってます。
牧丘はとても寒いです。今朝は-6℃。

本当に多くの皆さんからお祝いやご支援をいただきました。
ありがとうございます。感謝、感謝です。

歌と弦が生まれて生活が一変しました。
日常のすべてが二人に引っ張られてしまう引力を持っていて、
深夜に立って抱かないと泣き止まない時なんてのもあります。
二人同時に泣いたり、寝たりする時もあります。

でも、弦はよく泣き、歌はいつも寝ています。
いつの間にか弦の体重が歌を抜きました。

毎夜、子供達がずらり3人も寝ていいます。
これほど頼もしく、奮い立たせる存在はいままでなかったと思います。
子供達には暮らしながら食べていける環境を遺してやりたい。
後はそれぞれやりたいことを存分にやればいいかななんて思っています。

子供達に期待することは、自身への期待の裏返し。
自分の子供に望むなら、自分がやらんでどうする、とさらに精進したいと思います。はい。

*******

日中の仕事はキウイ棚の撤去。じーのも相当がんばっている。
1週間くらいで総長2キロは越える針金を巻き取りました。
これから長さが150メートルくらいのワイヤーを巻き取ります。
それと30キロくらいのコンクリ支柱60本を片付けます。男衆1名大募集です。

今片付けている場所は特別な所。
母屋から歩いて30歩にある日当たり最高の1反の農地、しかも1枚。
僕らの暮らしの心臓でもあるし、顔でもある自給用の菜園になる。

時間をかけて美しく作りたい。
たくさんの生き物が住む森のような豊かな菜園を作りたいな。かつ、作業は楽しく楽ちんがいい。永続性という意味で、その菜園内で必要なものはすべてその菜園内で入手できるようにしたい。それに田舎暮らしで一番面倒な仕事は輸送と移動。だから楽に仕事ができるようにするには配置と工夫がとても重要。これぞ、パーマカルチャーデザイン。野菜を育てて食べることは農地からの搾取。野菜を取り続けたら養分が流出し、どんどんやせていってしまう。山に取りに行くのもいいけど、輸送は結構きつい。だから、僕らは畑に木を植える。葉を落とさせ、すぐ横の畝にまき散らす。じきに腐って土になる。マメ科を植え、その横で鶏やウサギを飼い、僕らの糞尿も畑に戻す。腐植を作る。何年も繰りかえされてここの土は日本のどこの畑より豊かになる、といいな。

3割は鳥や虫や動物達に、3割は土に還し、残りを人間がいただくという位の感じを聞くと牧歌的に聞こえるが、逆に作るには相当の時間と手間がかかる。夢を語るのもほどほどに目の前にある棚を片つけなければ。更地になるまで作業は続く・・・・。最終日は野焼き。来週の後半だろうか。よかったらご一緒にどうぞ。

2009/12/02

2010年の僕ら ~ マメノキ農園

まだ、もうちょっと今年という年を振り返るには時間がある。
でも始まりの年はそろそろ終わり。双子達も相方も家に帰ってきた。いろいろあったけど今は問題はない。それにしても双子の夜泣きは強烈だ。順番に泣く(^^)

2010年は成長の始まりの年だ。いい流れを作って自分たちで歩いていけるようにしたい。自分達で流れを引き寄せないとね~。
1年前から名前についていろいろ考えてたけど、どれも今ひとつしっくり来なかった。決める必要もなかったのだと思う。でも、近所にできた長老系の知り合いから、名前を決めてほしいという要望を重ねていただいてしまった。名前を決めるいいきっかけだ。経済性ってことで待ってても埒があかない。認識してもらうには看板が必要だ。

牧丘辻屋の僕らは、来年以降マメノキと名乗りたいと思う。農産物や加工品を販売する際、農園をつけて、マメノキ農園。そのうちカフェも作るだろう。そしたらマメノキ飯店?マメノキ茶屋でもいいかも。マメノキ牧場っていうのも真剣に考えたけど、牛とかを飼ってからじゃないとあほすぎるってことになった。果たして牛は本当にやっているのか?今のところ予定はない。

僕らをつなげるキーワードの一つ、パーマカルチャー。パーマカルチャリストはマメ科の植物を重用する。マメ科の植物は空気中の窒素を地中に固定してくれるいい奴。つまり周りの植物の栄養源を供給してくれる。今は苗だけど、マメノキが授けてくれる土地を豊かにする力でどんどん成長して、地域や友族と一緒に豊かになれればいい。そんな思いを、自分としては、含ませたいと思う。

理想を言えば、野菜やキノコ、様々な果樹や、穀物やら卵やら、それこそ百姓らしく百の作物を作って、近所の人たちに買ってもらって、近隣の経済に溶け込んで暮らしていきたい。敷地の中で暮らすことが経済と直結するようにしていきたい。でも、僕らにはまだまだ品目も余剰分も少ないし、生活インフラもまだまだ普通の生活よりマイナスの状態だ。資材を購入する資金も必要。逆に僕らの強みは目の前に広がる一枚のまとまった農地。そしてなにより一緒に協力し合える友族だ。

来年のマメノキ農園はトマトと唐辛子が主力。それにいろんな苗、梅、綿花、かぼちゃ。山梨のいろんな先生をよんでのワークショップを経済の柱としたい。もちろん化学系の農薬は使わないつもり。今年は例えばトマトを作ってみよう!と思って畑をやっていた。来年はトマトを「商品化」するという視点を加えて最初から最後まで流れを踏んでやってみたい。そんな感じで畑で汗をかきつつ、浄化槽やら、トラックやら、使いやすい綺麗なキッチンを使えるようにしていく予定。ホームページも作ろうってことになった。お手伝いしてくれる方募集中。それと、リンゴとブドウの袋掛けも大きな仕事だ。商品ロゴも作りたい。手伝ってくれる方、こちらも募集中です。

個人的にはブドウとリンゴの畑も回していく。経済を回すという意味で主体的に関わる畑は全部ぜ8反ほど。結構な広さだ。来年もがんばるぞ。

2009/11/17

双子と小さいママ誕生!

牧丘に引っ越したのとほぼ同時に判明した相方の妊娠。
初夏はつわり、初秋からの入院。一昨日ついに生まれた。元気な赤ちゃんが出てきた!

彼女は先週からとても血圧が高かった。
ウテメリンの点滴をはずしてからは顕著だった。胎児の成長と相方の体への負担、その負担が血圧という形で計測できていた。血圧は心臓が押し出す血流の強さ。強くなければキチンと循環しないから高くなる。血栓で詰まればまずいことになるし、特に出産時はただでさえ血圧が高くなる。先生と相談して早いとこ出しちゃおうってことになった。

9時過ぎに促進剤の点滴開始。最初は12ml/hrから、40分毎に12mlづつ増やしていった。昼くらいまでは、学校を早退した娘と一緒になんともなく元気にしていた。13時過ぎから周期性の痛みが始まった。促進剤の数値は72ミリリットル、1分くらいの痛みが続く。最初は5分くらい間隔開いていたのが段々短くなる。2時くらいには歩けるうちに陣痛室にってことで、分娩室の横にある薄暗い小部屋に通された。陣痛室には大部屋のよりちょっといいベッドが置いてあるらしい。相方は笑いながら歩いていった。

痛みがだんだん大きくなってくるようで、徐々に顔から余裕がなくなってきた。看護師さんや助産師さんがなんとなく忙しくいろいろ準備をしている。段々痛がらないほうが短くなってきたかな~と思っていたら、分娩室に通された。もちろん娘も一緒に。緑の医療用のエプロンを二人でつけた。リキんでOK、になってから一時間くらいだったかな。16:10に歌が出てきて、16:30に弦が出てきた。鼓の時より短かったし、相方のいきみ方も軽かったように思う。印象的には安産だった。

日も落ちて、お疲れ~無事でよかったね~なんて言いあってたら、相方の様子がおかしい。血圧が落ちず、息が苦しいらしい。酸素マスクをつけると息が整う。寒さを訴え、熱もあった。出産後にはままあるようなので、しばらく様子を見ようなんてことになったけど、いつまでも熱も呼吸も落ち着かなかった。先生が大学病院に搬送しようって話をし始めた。酸素濃度をあげないと息が整わないのは、何らかの事情で肺の機能が低下しているということ。でもここじゃ検査できないので特定できない。だから大学病院で検査と処置を受けてほしい。そう言われた。

疲れているというだけの状態ではなかったので、相方もすぐに納得した。すぐに救急車で搬送された。後ろから車を運転して一人で付いていった。車中は焦りとビビリと悲しさと不安。吐きそうだった。出産に付きまとう死については意識はしていたし、もし相方が娘と自分を残してということも・・覚悟せねばと考えたこともあった。でも双子と長女で3人となると話が全然変わってくる。想像を絶した。でもそれは杞憂だった。

いろんな方にご心配をかけたが、今はもうとうに山を越えた感じ。もうちょっと入院が続くが、ここから先は流れでうまくいくような気がする。気力もあるし、彼女が生理的に元気さを取り戻すために必要な時間を消化していけばいい。とはいっても、大学病院は酷だ。がんばれ。彼女は、週が浅く出てきてしまって育成機で点滴を打たれるハズだった双子の身代わりになってくれたんだと思うようにした。いつも母は偉大だ。


娘は小さなママになると母性全開中だ。相方が入院してから1.5ヶ月、お母さんが死んでしまうかもしれない不安。彼女が独り占めしていた大人の視線が双子達に向けられてしまう寂しさの反面、世話をする側に立つうれしさを感じている(らしい)。なかなか複雑な心境なハズだけど、それもちゃんと受け止めている。出産に立ち会うことも自分で決めた。相方が大きな病院に入院している間、別の病院にいる赤ちゃんの世話は自分がするといてはりきっている。彼女は以前と比べてしっかり者になったように思う。そして今までにないやさしい表情をするようになった。双子の出産で一人娘はお姉さんになった。そのこともとてもうれしい。

2009/11/10

果樹園開園?

近所の畑を借りることになりました!!
ブドウ畑を1.5反、リンゴ畑を2反ほどだ。どれも来年も収穫できる成園というのがすごく幸運だ。
とりあえずほっとしたってところが本音。来年の目処がついた。新たな運にちゃんと乗っかれた感じがする。

畑は8月くらいから増やしたいなと思っていた。とりあえず休耕地の紹介事業をやってる市役所の農地課にいって空きの農地について問い合わせていた。が、わが山梨市中牧地区には休耕地の申請が一つもないらしく・・。あてがなくなっちゃった・・とちょっと焦っていた。近所の方に聞くしかない。けど、自宅の開墾は全部終わっているわけではないから、新しく手を広げる話はなかな切り出しにくかった。

いつも僕らを気に掛けてくれているオーナーの親戚のおばさん。もも、ブドウや柿、なにかといろいろ届けてくれる。御礼にかぼちゃを届けにいった。開いてる畑があれば紹介してもらえないかと相談したら、その場で彼女の畑を貸してくれることになった。他にも探してくれるといってくれた。なんとありがたいことだ。おまけに人参までいただいてしまった。足を向けて寝れない。今年の冬からブドウの世話が始まる。

山梨市市役所はやさしい人たちが多い。僕らが家や農地を探していることを分かってくれていて、いろいろ声を掛けてくれる。先日も近所に空き家が1軒出たってわざわざ立寄ってくれた。その日はなぜかフットワーク軽くその足で空き家を見に行った。オーナー夫婦らは畑をしてくれる人を探してたので是非!とお願いしてみた。そしたら昨日、家にオーナー夫妻の突然の訪問。もし畑を借りたいなら明日の朝、畑に来てほしいといわれた。ちょっとどきどきしつつ、今日伺ったらオーナー夫妻の師匠って人が待っていた。突然畑の説明が始まって、どれが来年からとれるだの品種や作業の種類なんかを教えてくれた。どうやら草生栽培で除草剤は使わない方針らしい。そりゃ、願ったりかなったりだ。嬉々としていたら逆に喜んでくれた。せっかく10年以上除草剤撒かずに土を育ててきたんだから、撒く奴に貸したら一辺で台無しだと教えてくれた。自分はどうやら試験にパスしたみたいだ。なんだか分からんけど人柄がいいことになった(笑)

人生何がどう転ぶか分からない。
でも運を運んでくる波は自分が踏み出した一歩が最初のきっかけだ。
そして助けてくれる人がいる。ありがたいです。

そういうことで、来年はリンゴとブドウがたくさん食べれるようになります。
富士でシードル作りとかどうですかね。

2009/11/03

最近の仕事

相方が入院してから1ヶ月が経った。
24時間点滴を打って、病室で一人で耐える方がどれだけ大変か。そう思うと体を動かすのを止められない。でも倒れては元も子もない。ぎりぎりのところまで攻めるのが面白い。心の健康にも気をつける。楽しくなかったら意味がない。でも体の疲れがちょろちょろ口から毒になって出てくる。そんな日の翌日はあえて何もしない。平日昼間の温泉はとても贅沢だけど、たまにはいいかな。

今の牧丘は日中体を動かすには最高だ。何しろ寒い。動いても汗をかかない。今週は今秋初めて零下になった。鼻先に冬の匂いがする。ここの寒さは強烈だ。いろいろ体を動かすのはほぼ寒さ対策だ。後今月末で生まれるであろう双子や久しぶりに帰ってくる相方が少しでも快適であればいいと思っている。
穴だらけの障子を張替え、障子やふすまと柱の隙間を木でカバーした。家のゆがみはひどく、大きいところで8センチも隙間があった。最初は細長い三角形を作ってやろうと思ったが、手間が相当かかるので取り急ぎ角材を打ち付けて穴をふさぐようにした。見た目?それなり。キチンとやるには家全体を取り組まなければならない。かくして一応穴はふさがったが、障子だけではいささか心許ないので障子の直外にカーテン代わりに帆布をたらすことにした。我が家のスペースは障子が12枚。それだけでも24メートルの帆布が必要。帆布はなにかと使い回しがいいので50メートル巻を1本購入した。布仕事は得意ではないけど、来週あたりはカーテンつくりに没頭かな。

思えば今年は家作りに相当時間を掛けた。でも、マイナスをゼロに持っていく作業がほとんどだ。アパートを借りればほとんどすでに備わっているものばかりだ。8畳2間で家族の寝室とさせてもらっているが、部屋の掃除に始まり、埃対策で天井にベニヤをはり、剥がれかけた壁に珪藻土を塗り、床間と仏間をクローゼットに変え、障子を張替え、ベッドと娘の机を作った。これから、1ヶ月で隣の部屋との間に壁を作り、自分の机を作り、新しいベッドを作る。あぁ、相方の和服をしまう箪笥も作る予定だ。ゾーン0が固まらなきゃ、ゾーン1には入れない。気持ちのいい私的空間がやっぱり必要だ~。

そういえば牧丘に薪ストーブが、ついに!入った。
ようやくリンゴの木が薪になって、暖かい土間で飯が食べれるようになったよ。
まだチェックしてない方是非。

生活の器を作るのが男性。器に魂を入れるのが女性。
男性だけでも女性だけでも具合が悪い。両方が揃って初めて豊かになれると、最近心底思う。

2009/10/27

双子の名前

相方の入院もそろそろ3週間ほど経過した。
やる気はあれどもさすがに息切れしてしまった。ここ3日はお休みな感じとしている。
多くの人に心配していただき、応援の言葉をいただく。ありがたいことだ。

双子の名前を決めた。一人目の時は、ある日突然車の中で相方から告げられたから、もちろんいい名前なので賛成したけど、名前をあれこれ考えるのも楽しみたいってことで、2番目が出来たら自分の番だということになっていた。しばらく考えた。最初に世に出てくるのは女の子。歌(うた)と名付けた。2番目に出てくる子は男の子。弦(げん)とした。鼓も合わせて3人でも、2人でも、1人でもそれぞれの人生を奏でられるように。

実は出産まで後3週間ほどだと言われている。予定日は12月17日だけど誕生日は1ヶ月ほど早くなる。おかげさまですくすく育った双子はそれぞれが世間の胎児の標準体重をわずかに上回り、32週ですでに合計4キロ以上になっている。一人ならとても大きな赤ちゃんだ。本来の予定日まで引っ張るとだと母体のキャパを物理的に越えてしまうようだ。うまくいけば後2週間位で相方に24時間お供しているウテメリン点滴が外れ、自然に陣痛を待つようになる。

点滴液を常時腕から注入され、ベッド上での安静を強いられている相方に体の変化が出てきたように思う。。お腹は大きくなる一方だけど、体の線が細くなってきた。胎児に吸われているのもあると思うけど、筋肉が落ちた感じもある。あまり動けないから血流も悪い。病院食は彼女が今まで避けてきたいわゆる栄養学的な食事。肉と生野菜でバランスを取らざるを得ない。しかも24時間5%ブドウ糖が入った動悸や震えを引き起こす液体を注入されている。(子宮を緩ますためね。)陰性に傾くじゃん。病院には塩、味噌など調味料を持ち込みせめてもの抵抗。肉を少々残して、ちょい濃い目の味付けで副菜をいただく。事前に梅肉エキスを一匙舐める。家から煮物とかをたまにもっていく。この数週間で煮物が少しうまくなった。それと妊婦にはリンパマッサージがとてもよく効く。足の付け根に施すと調子が落ちない。妊婦を妻に持つ自分が直接妻の健康に貢献できる唯一のことだ。世の男性にも妊婦マッサージを勧めたいと思う。

出産入院はとても大変だけども、家族の絆はとても深まった思う。大変だからこそなのかな。このまま歌と弦が元気に誕生し、相方が元気に返ってくることを切に願う。