リンゴの木の足元にもいつのまにかオオイヌノフグリが咲き始めた。
1月もいつの間にか終わった。早い。季節に追い立てまわされている様にも思う。
1月中に終わらそうと思っていたりんごの剪定が終わった。すべての木のすべての枝。ようやく手を入れ終えることができた。悩んで剪定した結果どうなるのか、今年の木の成長を見るのが楽しみだ。
それにしても人から木の世話を引き継ぐのは思った以上に大変だ。剪定には自然の法則だけでなく、どう育てたいかという人間の意図が反映される。作業を進めていくうちになぜ去年の剪定時にこの枝を誘引をしなかったのか?など疑問が浮かぶ。前任者の意図をいちいち確認したくなったが、強引に進めた作業だった。趣味でなく仕事としての果樹栽培。次の作業は4月の開花前の農薬散布。でも同時にリンゴのコンパニオンプランツも増やしていきたい。
2月は葡萄の剪定、ビニールハウスの設置、苗床作り、温床作りと夏野菜の種まきが主な仕事。いつでもお手伝い募集!!!です。
2010/01/31
2010/01/28
双子とジレンマ
そろそろ生後2ヶ月。二人とも随分太くなった。
赤子二人の育児には目が回る。赤子が一人いただけでも大変だが、二人は倍以上に大変だ。
世のすべての双子の親に「お疲れ様」と言いたいところだ。
赤子は定期的な授乳とだっこを要求する。
両方同時に泣けば、当然一人では対応しきれない。どっちかを先にしても、一人が火がついたように泣いてしまえば、もう片方もそんなに落ち着けない。だから二人の手が必要になる。夜中も昼間も二人の世話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。他の仕事が進められない。両方だっこすればとも思うが、寝るほどには満足しないのだ。赤子には一人につき一人の大人が必要のようだ。相方が世話をしている時は自分は家事仕事。一日の炊事洗濯なんかは、相方の入院中からやってたから特段問題はない。相方は夜中も赤子の世話をしているからまず寝る時間が必要だったりする。自分は日中できる範囲で赤子の世話をする。
このできる範囲っていうのがクセモノだ。やろうと思えばずっーと赤子の世話をすることもできる。そうすればいいのだが、そうも出来ない事情もある。どちらにしても朝起きてから夜寝るまでナンかしら体を動かして働いている。家事以外の多くは林檎だったり葡萄だったり、あるいはマメノキ農園の畑作りだ。それらは今年と特に来年の食い扶持のための仕事なのだ。今、赤子の世話をするのは家族にとってもとてもいいことだし、自分ももっとやりたいけど、来年の準備をしておかないと来年働きに出なければならなくなる。それじゃ、子育ても関わり方は現状以下だ。
でも時々疲弊している相方をみると、今もっと関わるべきなのか?と思ったりする。働くとはいっても自宅で働いてるんだから幸せだと思う。なかなか難しい局面だが、今年はこんな感じで綱渡りなんだろう。楽しんでいこう。
写真は棟梁が製作中の風呂。下地貼りを手伝った。なかなか丁寧に作られている。
春のきざし
2010/01/26
リンゴの剪定継続中
剪定をするぞ、リンゴと向き合うと時間が過ぎるのがとても早く感じる。今までの経緯とこれからの成長を予測しながら、葉と実に光が届くようにしてやる。枝を見ながら、木全体を見ながら、花芽を見ながら結構なスピードで目と思考が動く。
1月に入ってから平日の午前中は大抵リンゴ畑で剪定作業だ。最近は車を使わず歩きで行くようにしている。道すがらに出会う人や景色がとても気に入っている。今日は81才の爺さんと立ち話。今日はひ孫を持つ気分について感想を聞いた。
外の畑の仕事は午前中だけに絞っている。9時から12時までの3時間1コマ。無理なく疲れないペースだ。午後には家の仕事もできる。剪定作業はゴールがそろそろ見えてきた感じ。どの木も個性があるけど剪定方法がなんとなくパターン化してきたのでスピードが上がった。いろんなケースがあったから、選別の基準がなんとなく出来たのだと思う。ただ、それが正解かどうかわかるには来年の1月にならないとわからない。不安はあるけど迷い続けていても始まらないし、作業は終わらない。結果がわかるその時間の長さがおもしろい。
なんとなく急ぎモードになっているのは次に葡萄の剪定が始まるから。近所の葡萄畑で剪定が住んでいないところの方が少なくなってきた。焦る。でも明日の午後は農協の指導員に剪定の方法を教わることになっている。自分の畑まで来てくれて教えてくれる。ありがたい。遅ればせながら葡萄のシーズンも始まる。
1月に入ってから平日の午前中は大抵リンゴ畑で剪定作業だ。最近は車を使わず歩きで行くようにしている。道すがらに出会う人や景色がとても気に入っている。今日は81才の爺さんと立ち話。今日はひ孫を持つ気分について感想を聞いた。
外の畑の仕事は午前中だけに絞っている。9時から12時までの3時間1コマ。無理なく疲れないペースだ。午後には家の仕事もできる。剪定作業はゴールがそろそろ見えてきた感じ。どの木も個性があるけど剪定方法がなんとなくパターン化してきたのでスピードが上がった。いろんなケースがあったから、選別の基準がなんとなく出来たのだと思う。ただ、それが正解かどうかわかるには来年の1月にならないとわからない。不安はあるけど迷い続けていても始まらないし、作業は終わらない。結果がわかるその時間の長さがおもしろい。
なんとなく急ぎモードになっているのは次に葡萄の剪定が始まるから。近所の葡萄畑で剪定が住んでいないところの方が少なくなってきた。焦る。でも明日の午後は農協の指導員に剪定の方法を教わることになっている。自分の畑まで来てくれて教えてくれる。ありがたい。遅ればせながら葡萄のシーズンも始まる。
2010/01/24
ウサギコンポスト稼動中
去年の4月から飼い始めたウサギ。今、にわかに増えて4匹のウサギが農場で活躍中だ。かわいいだけにその効果を軽んじられることもあるかもしれないが、ウサギはなかなか働き者だ。
4匹の群れは小屋の中で暮らしている。小屋のつくりは単純だ。長さ約3.5m、幅0.8m、高さ0.6m。500×800のBBQ用の金網を10枚つなげた手作りの小屋だ。半日あれば簡単に作れる。その中をちょこまかと走り回る姿はとても楽しい。結構長いのでこれくらいあるとウサギが走ることができる。4匹に増えたので小屋を拡張したらウサギの動きがよくなった。半分だった時は走ることはできなかった。小屋の中には家、日陰、日向、風の来ない所、風の通る所などいろいろ作ってやる。金網はBBQ用のものを使っているが、これが一番安心の素材。繰り返し焼いて錆びても使えるほど耐久性は高い。他の網は針金も細かったりゆがんだりとどうしても害獣に隙を与えてしまうような気がする。
1日1回食べ物を与えておけば彼らは満足。死ぬことはない。彼らは青草を食べる。木質化したもの以外は何でも食べるが好みがある。最初に好きなものを食べ、無くなったら次に好きなものを食べるのでとてもわかりやすい。シーズンによっても好き嫌いがあり、冬は枯れ草も雑草の根っこも食べるが、夏は見向きもしない。大根のような大きなものも表面を削るように食べるのがあまり得意ではない。菜っ葉やクローバーや花のように柔らかくて薄いものが好みだ。落ちている小さなキウイも干し柿のように薄く乾かしたほうが食べる。
問題は冬場のえさだ。毎日結構な量を食べる。
牧丘の場合、冬用に育てていた菜っ葉たちが霜でやられ、すでに食べるにはきつい。人間が食べるものは塩に漬けるか、ハウスで育てるかしかないようだ。写真の青菜は、外で種から育てた野菜。最近はウサギ用になったのでそれほど心配はない。野草や菜の花が充実する4月くらいまでは持たせることは出来るかな。
クーちゃんにいっちゃん、しーちゃんにチャロ。すべて娘が名前をつけた。
4匹の群れは小屋の中で暮らしている。小屋のつくりは単純だ。長さ約3.5m、幅0.8m、高さ0.6m。500×800のBBQ用の金網を10枚つなげた手作りの小屋だ。半日あれば簡単に作れる。その中をちょこまかと走り回る姿はとても楽しい。結構長いのでこれくらいあるとウサギが走ることができる。4匹に増えたので小屋を拡張したらウサギの動きがよくなった。半分だった時は走ることはできなかった。小屋の中には家、日陰、日向、風の来ない所、風の通る所などいろいろ作ってやる。金網はBBQ用のものを使っているが、これが一番安心の素材。繰り返し焼いて錆びても使えるほど耐久性は高い。他の網は針金も細かったりゆがんだりとどうしても害獣に隙を与えてしまうような気がする。
1日1回食べ物を与えておけば彼らは満足。死ぬことはない。彼らは青草を食べる。木質化したもの以外は何でも食べるが好みがある。最初に好きなものを食べ、無くなったら次に好きなものを食べるのでとてもわかりやすい。シーズンによっても好き嫌いがあり、冬は枯れ草も雑草の根っこも食べるが、夏は見向きもしない。大根のような大きなものも表面を削るように食べるのがあまり得意ではない。菜っ葉やクローバーや花のように柔らかくて薄いものが好みだ。落ちている小さなキウイも干し柿のように薄く乾かしたほうが食べる。
問題は冬場のえさだ。毎日結構な量を食べる。
牧丘の場合、冬用に育てていた菜っ葉たちが霜でやられ、すでに食べるにはきつい。人間が食べるものは塩に漬けるか、ハウスで育てるかしかないようだ。写真の青菜は、外で種から育てた野菜。最近はウサギ用になったのでそれほど心配はない。野草や菜の花が充実する4月くらいまでは持たせることは出来るかな。
クーちゃんにいっちゃん、しーちゃんにチャロ。すべて娘が名前をつけた。
部落の会合
この土地に関わりが出来てから1年。
今日はこの部落の初会というものに参加してきた。今年は一人で2回目だ。
初会はこの部落20数戸の話合いの場だ。家長的な長老とそのご夫人が参加する。1年に数回こんな場があるけど、初会は1年で最初の会合。翌年の役員を決定する。極めて民主的で、平和な話合いが持たれた。都会にいるとまるで失われた楽園のように感じるときもあるが、牧丘には今も昔もコミュニティーが存在する。
部落の中にはいろん仕事がある。
部落活動の会計、農協の窓口、水道、神社の窓口、消防、祭、獣害防止、そして青少年育成会。誰もがいずれ自分もやるっていうことを前提で組のそれぞれの役目をうまいことローテーションしている。年齢順だったり班の中で順番だったり。そんな役目の人数も任期もなんとなく話し合われて決まっていく。長年うまく回すにはよい方法だ。
そんな中でも選挙っていう決め方が出てきた。驚いた。任期3年の農協代議員の役。2期連続で勤めた方がそろそろ交代したいと言ったので誰がいいかっていう話になったけど、誰も首を立てに振らなかったので、それじゃ選挙にしようっていうことになった。白紙の紙が渡され、それぞれが名前を書いている。それを「投票箱」と書いてあるティッシュの空き箱に入れられて、立会人も入れて開票した。僕は白票で出した。どんな仕事かもわからんのに、だれかの名前は書けない。同時に誰かを決めれるほどまだ溶け込んではいないと感じた。だが、そんな役目達が遠くない未来に自分にも回ってくる。来年は班長になるらしい。集金と配達が仕事だ。
そんな初会だが、熱い議論もある。この部落の好きな所だ。今日一番のトピックは青少年育成会の話。そもそも育成会っていうのは、かつては地域の子供達を連れて海水浴とか連れ出したり、ラジオ体操だったり花火大会をやったりする。子供のいるいないには関係なく参加し、イベントの役目が回ってきて、地域の子供と大人をつなげて、地域ぐるみで子育てをしていこうっていう話だ。すばらしいことだ。
ただ、そんな伝統に問題が生じていることがあぶりだされ、共有された場だった。
今、部落には3人の子供がいるが、正直何かイベントをするにはあまり盛り上がらない人数だ。子供が少なくなるに従って、勢いがなくなってしまった。地域で子育てっていっても中心になるのは子育て中の世代。子供の人数が少ないってことは親の数も当然少ないし、祖父母世代は動くにしても動きづらい。そんなこんなで予算も形骸化したので、何年か前に再開はいつでも出来るという話で縮小された。
参加者の一人が、なんで育成会の活動報告がないんだ、なんで計画を立てて盛り上げないんだと言い始めた。少ないからできないってことなら何人になったらまた始めるのか決めようっていう提案だった。なんなら育成会をやめちまえばいいと別の人が言った。人数が少ないし、それぞれの家庭同士でつながってやればいいという話も出た。だれかが論点は地域として子育てをするつもりがあるのか、ないのかということだと思うといった。一瞬会場が静まった。地域ぐるみの子育てということがどれだけすばらしいことなのか、熱く語るご婦人には感動した。
多くの人は総論としてはもちろん育成会の趣旨には賛同しているし、自分達も子供が小さかった時にはやってきた。でも、今は子供も少ないし、地域で関わるっていってもやり方がわからない。すでに関わるに二の足を踏んでしまうほどに薄れているのが現実だ。子供という接点では地域がつながることは今は出来ないのだ。
今、このコミュニティーは戸惑っている。つながりの持ち方について、子供がいないことについて人が少なくなっていることについて。残念ながら、今日の初会では問題の解決策は出てこなかった。子育て世代と話をしようということになった。来年も小中学校に通う子供は3人、たった3世帯だ。
そんな初会の後は堅い話の後はお酒が振舞われて懇親会。友族一同で参加した。鼓・歌・弦も連れて行ったらモテモテ。みんないい人たちだ。
今日はこの部落の初会というものに参加してきた。今年は一人で2回目だ。
初会はこの部落20数戸の話合いの場だ。家長的な長老とそのご夫人が参加する。1年に数回こんな場があるけど、初会は1年で最初の会合。翌年の役員を決定する。極めて民主的で、平和な話合いが持たれた。都会にいるとまるで失われた楽園のように感じるときもあるが、牧丘には今も昔もコミュニティーが存在する。
部落の中にはいろん仕事がある。
部落活動の会計、農協の窓口、水道、神社の窓口、消防、祭、獣害防止、そして青少年育成会。誰もがいずれ自分もやるっていうことを前提で組のそれぞれの役目をうまいことローテーションしている。年齢順だったり班の中で順番だったり。そんな役目の人数も任期もなんとなく話し合われて決まっていく。長年うまく回すにはよい方法だ。
そんな中でも選挙っていう決め方が出てきた。驚いた。任期3年の農協代議員の役。2期連続で勤めた方がそろそろ交代したいと言ったので誰がいいかっていう話になったけど、誰も首を立てに振らなかったので、それじゃ選挙にしようっていうことになった。白紙の紙が渡され、それぞれが名前を書いている。それを「投票箱」と書いてあるティッシュの空き箱に入れられて、立会人も入れて開票した。僕は白票で出した。どんな仕事かもわからんのに、だれかの名前は書けない。同時に誰かを決めれるほどまだ溶け込んではいないと感じた。だが、そんな役目達が遠くない未来に自分にも回ってくる。来年は班長になるらしい。集金と配達が仕事だ。
そんな初会だが、熱い議論もある。この部落の好きな所だ。今日一番のトピックは青少年育成会の話。そもそも育成会っていうのは、かつては地域の子供達を連れて海水浴とか連れ出したり、ラジオ体操だったり花火大会をやったりする。子供のいるいないには関係なく参加し、イベントの役目が回ってきて、地域の子供と大人をつなげて、地域ぐるみで子育てをしていこうっていう話だ。すばらしいことだ。
ただ、そんな伝統に問題が生じていることがあぶりだされ、共有された場だった。
今、部落には3人の子供がいるが、正直何かイベントをするにはあまり盛り上がらない人数だ。子供が少なくなるに従って、勢いがなくなってしまった。地域で子育てっていっても中心になるのは子育て中の世代。子供の人数が少ないってことは親の数も当然少ないし、祖父母世代は動くにしても動きづらい。そんなこんなで予算も形骸化したので、何年か前に再開はいつでも出来るという話で縮小された。
参加者の一人が、なんで育成会の活動報告がないんだ、なんで計画を立てて盛り上げないんだと言い始めた。少ないからできないってことなら何人になったらまた始めるのか決めようっていう提案だった。なんなら育成会をやめちまえばいいと別の人が言った。人数が少ないし、それぞれの家庭同士でつながってやればいいという話も出た。だれかが論点は地域として子育てをするつもりがあるのか、ないのかということだと思うといった。一瞬会場が静まった。地域ぐるみの子育てということがどれだけすばらしいことなのか、熱く語るご婦人には感動した。
多くの人は総論としてはもちろん育成会の趣旨には賛同しているし、自分達も子供が小さかった時にはやってきた。でも、今は子供も少ないし、地域で関わるっていってもやり方がわからない。すでに関わるに二の足を踏んでしまうほどに薄れているのが現実だ。子供という接点では地域がつながることは今は出来ないのだ。
今、このコミュニティーは戸惑っている。つながりの持ち方について、子供がいないことについて人が少なくなっていることについて。残念ながら、今日の初会では問題の解決策は出てこなかった。子育て世代と話をしようということになった。来年も小中学校に通う子供は3人、たった3世帯だ。
そんな初会の後は堅い話の後はお酒が振舞われて懇親会。友族一同で参加した。鼓・歌・弦も連れて行ったらモテモテ。みんないい人たちだ。
2010/01/19
New Comer
マメノキ農園に新しい仲間が増えた。
ここは人間より動物を紹介するほうが大変だったりする。
新しい仲間は柴犬だ。豆太と命名された。川越から豆太はやってきた。元の飼い主が柴犬を飼おうと育て始めて1週間するかしないかって時に急に転勤することになってしまった。その犬を僕らが譲り受けることになった。生後3ヶ月。黒の柴犬。オス。なんとなくツキノワグマを連想させるかわいい奴だ。そんな新しい家族を手放さなければならなかった飼い主は本当に残念だったろうと思う。大事に育てたいと思った。早速畑仕事に連れ出してお供をしてもらったら、軍手のように埃まみれになった。やさしい犬に育てたいと思う。
それ以外にも猫もいる。テト、オス、棟梁について来て、それきり住みこんだ。こいつがなかなか人懐っこくて、大きくて、とても猫らしい猫だ。畑に出ているとたまにひょこっと顔を出す。そんな偶然のような接触が面白い。以前はウサギを狙ってよく怒られていた。
うちにいる動物たちにはペットはいない。みんな何かしら仕事をしている。テトは害獣になる他の猫を近寄らせない。ニワトリは卵はもちろん耕運機として働く。一ちゃんとクーちゃんは雑草管理だ。豆太には大きくなったら、ここらへんに出没するキツネやイタチからニワトリを守って欲しい。
そんなマメノキ農園。4つ足のヤギを飼ったらマメノキ牧場もいいかもと思う。
ここは人間より動物を紹介するほうが大変だったりする。
新しい仲間は柴犬だ。豆太と命名された。川越から豆太はやってきた。元の飼い主が柴犬を飼おうと育て始めて1週間するかしないかって時に急に転勤することになってしまった。その犬を僕らが譲り受けることになった。生後3ヶ月。黒の柴犬。オス。なんとなくツキノワグマを連想させるかわいい奴だ。そんな新しい家族を手放さなければならなかった飼い主は本当に残念だったろうと思う。大事に育てたいと思った。早速畑仕事に連れ出してお供をしてもらったら、軍手のように埃まみれになった。やさしい犬に育てたいと思う。
それ以外にも猫もいる。テト、オス、棟梁について来て、それきり住みこんだ。こいつがなかなか人懐っこくて、大きくて、とても猫らしい猫だ。畑に出ているとたまにひょこっと顔を出す。そんな偶然のような接触が面白い。以前はウサギを狙ってよく怒られていた。
うちにいる動物たちにはペットはいない。みんな何かしら仕事をしている。テトは害獣になる他の猫を近寄らせない。ニワトリは卵はもちろん耕運機として働く。一ちゃんとクーちゃんは雑草管理だ。豆太には大きくなったら、ここらへんに出没するキツネやイタチからニワトリを守って欲しい。
そんなマメノキ農園。4つ足のヤギを飼ったらマメノキ牧場もいいかもと思う。
2010/01/15
2010/01/14
リンゴ畑に行く道
今日はとても天気がいい。先日の雪から久しぶりに青空が見えた。
雪は北側の影以外は解けたとはいえ、とても寒い。昨晩ガス湯沸かし器が凍結。まだ調子がよくない。
リンゴ畑に連日参勤している。自宅から歩いて10分とかからない。
持ち物は剪定鋏と鋸、それに紐、水筒、ノートなんかを竹のしょいこに入れ込んで担ぐ。
隣の集落の道祖神にお地蔵様を発見。こんな日常の中の景色もいいもんだ。
さて、リンゴ畑がある一角。鼓川を越えると元棚田の果樹園地帯が広がる。地域の皆さんが昔の昔から手入れをしてきた恵みの大地。40年前には田んぼだった。機械がない時代はどんな暮らしだったのだろう。
今は午前中の時間をリンゴに割り振っている。午後は、風呂作りやら掃除やら、水道の補修やら薪準備とかいろいろあるのだ。でも、リンゴの世話もようやく半分くらいまで剪定が済んだ。あと3日もすれば一応片付けまで終了だ。
2010/01/11
リンゴの剪定
わかったなわかんないような。
そんな時は五里霧中。作業を進めても仕事を進めている安心感より気疲れが募る。
リンゴの剪定はとても難しい。
2反4畝ほどのリンゴ畑。歩いて5分。リンゴの木が100本以上植えられている。
4分の1は幼木、老木と育ち盛りが半分くらい。残りはこれから苗木が植えられる。いいバランスの4枚の畑だ。品種はほぼ富士。他に受粉用の王林、ジョナゴールド等の別の品種が配置されている。リンゴは他家受粉だから別の品種がないと実が付かない。
ここ数日、午前中の時間は冬の剪定作業を進めている。鋸にはさみに紐と梯子をもって畑に出勤だ。店長をいきなり任されてしまったバイトのような気分だ。一通り指南は受けた。まだ???。でも仕事を進めなければならない。不思議と会社勤めの時のように足取りは重くはならない。
リンゴの木は、とにかく上に、上に伸びたい。根が吸い上げた樹液を上に運びたがる。流れが一旦溜まるところに枝を伸ばしたがる。剪定は、勢いの流れを読んで成長をコントロールして、適数の花を咲かせるための作業だ。根から上に運ばれる流れの方向を変えるために先端を先刈りしたり、芽の上に傷をつけたりする。育てたい枝をコントロールするための牽制枝と呼ばれる枝があったりする。作業するには一本一本よ~く見なきゃ鋏を入れられない。1本1本手を入れるときには始めに少し考える。今年からよろしく、なんて声を掛けながら、その木がどんな奴で、これからどんな風にしたいのかイメージして鋏を入れる。まだ4分の3残っている。
先はまだ長い。
隣の区画で作業している地元のおじさんに挨拶をしてみた。取り合えず、どこのだれかっていうことはわかってもらうために、今年からやることになったんでよろしくお願いします的な自己紹介してみた。「まあとにかくしっかりやってくれ。」そんなメッセージを繰り返し複数の皆さんからいただいた。でも本当はリンゴの木が一番そう思っているのかも。
そんな時は五里霧中。作業を進めても仕事を進めている安心感より気疲れが募る。
リンゴの剪定はとても難しい。
2反4畝ほどのリンゴ畑。歩いて5分。リンゴの木が100本以上植えられている。
4分の1は幼木、老木と育ち盛りが半分くらい。残りはこれから苗木が植えられる。いいバランスの4枚の畑だ。品種はほぼ富士。他に受粉用の王林、ジョナゴールド等の別の品種が配置されている。リンゴは他家受粉だから別の品種がないと実が付かない。
ここ数日、午前中の時間は冬の剪定作業を進めている。鋸にはさみに紐と梯子をもって畑に出勤だ。店長をいきなり任されてしまったバイトのような気分だ。一通り指南は受けた。まだ???。でも仕事を進めなければならない。不思議と会社勤めの時のように足取りは重くはならない。
リンゴの木は、とにかく上に、上に伸びたい。根が吸い上げた樹液を上に運びたがる。流れが一旦溜まるところに枝を伸ばしたがる。剪定は、勢いの流れを読んで成長をコントロールして、適数の花を咲かせるための作業だ。根から上に運ばれる流れの方向を変えるために先端を先刈りしたり、芽の上に傷をつけたりする。育てたい枝をコントロールするための牽制枝と呼ばれる枝があったりする。作業するには一本一本よ~く見なきゃ鋏を入れられない。1本1本手を入れるときには始めに少し考える。今年からよろしく、なんて声を掛けながら、その木がどんな奴で、これからどんな風にしたいのかイメージして鋏を入れる。まだ4分の3残っている。
先はまだ長い。
隣の区画で作業している地元のおじさんに挨拶をしてみた。取り合えず、どこのだれかっていうことはわかってもらうために、今年からやることになったんでよろしくお願いします的な自己紹介してみた。「まあとにかくしっかりやってくれ。」そんなメッセージを繰り返し複数の皆さんからいただいた。でも本当はリンゴの木が一番そう思っているのかも。
2010/01/09
らしくない?
昨日は午後から長女と一緒にお使い。タイヤ屋さんや図書館や給油。
立ち寄り先の産婦人科での長い会計待ちの時間、今年の畑の話になった。年末からリンゴ2反とブドウ3反強を家の近くに借りることになっている。そんな話をしながら、今はちょっとだけ早い剪定の時期。リンゴの剪定はそれほど作業量は無い。だけど、自宅のハウス移設のスケジュールは結構タイト。冬の牧丘は駆け足で過ぎていく。
やりたいことは山ほどある。リンゴ、ブドウの剪定、マルチ集め、ハウスの移設に風呂作り・・・。
今取り掛かっているハウスの移設は目玉的な作業。田舎暮らしのツールとして、これほど役に立つツールは他になるのであろうかっていうくらい期待されている。温室は春先の育苗、夏の乾燥、特に冬の栽培だ。また通年でニワトリの育成を行う。冬の菜葉はハウスでないと霜にあたって鮮度が保てない。しかし、移設するには相当の気力も必要。何しろ、5×18メートルの構造物を動かすのだから。それにしても、棚にしろビニールハウスにしろ、農家の針金仕事の細かさ&丈夫さには閉口する。どれもうまくしっかりできている。ということで来週はハウスの解体移築作業。お暇な方は是非ご一緒にどうぞ。ただ、剪定作業と時期が重なるから合間を縫って作業を進める。
リンゴとブドウの話を長女としていたら、「パパは農薬をまくの?」と聞かれた。「うん、本当はまきたくないけど、まくことにしたよ」といったら、残念そうな顔で「らしくないね。」と言われた。そんな大人びた言葉を受けるとは思ってもみなかった。
畑は借りているものだし、果樹は幹に虫が入って1年で枯死してしまうこともある。それにありがたくも畑を貸してくれた人はその畑の果実を楽しみにしている。本当は無農薬を試したいけど、どちらの生態もよく理解していない。失敗覚悟で信条を貫くには、貸してくれた人たちへ迷惑をかけることも同時に覚悟しなければならない。揉め事が起こったら、とても残念だし近隣の皆さんからはもう二度と畑は貸してもらえなくなるだろう。それを考えると今は選択できない。と説明したらよく理解してくれた。周りへの配慮を覆すには、無農薬栽培のノウハウが蓄積されたときか、農薬散布で体が悲鳴をあげた時に再考することにしたい。
とはいえ、自宅の畑は無農薬を貫きたいと思う。この地でのノウハウを開発しながら、外の畑では減農薬という手段をたどってみたいと思う。減らすためにできることは是非やってみたい。
立ち寄り先の産婦人科での長い会計待ちの時間、今年の畑の話になった。年末からリンゴ2反とブドウ3反強を家の近くに借りることになっている。そんな話をしながら、今はちょっとだけ早い剪定の時期。リンゴの剪定はそれほど作業量は無い。だけど、自宅のハウス移設のスケジュールは結構タイト。冬の牧丘は駆け足で過ぎていく。
やりたいことは山ほどある。リンゴ、ブドウの剪定、マルチ集め、ハウスの移設に風呂作り・・・。
今取り掛かっているハウスの移設は目玉的な作業。田舎暮らしのツールとして、これほど役に立つツールは他になるのであろうかっていうくらい期待されている。温室は春先の育苗、夏の乾燥、特に冬の栽培だ。また通年でニワトリの育成を行う。冬の菜葉はハウスでないと霜にあたって鮮度が保てない。しかし、移設するには相当の気力も必要。何しろ、5×18メートルの構造物を動かすのだから。それにしても、棚にしろビニールハウスにしろ、農家の針金仕事の細かさ&丈夫さには閉口する。どれもうまくしっかりできている。ということで来週はハウスの解体移築作業。お暇な方は是非ご一緒にどうぞ。ただ、剪定作業と時期が重なるから合間を縫って作業を進める。
リンゴとブドウの話を長女としていたら、「パパは農薬をまくの?」と聞かれた。「うん、本当はまきたくないけど、まくことにしたよ」といったら、残念そうな顔で「らしくないね。」と言われた。そんな大人びた言葉を受けるとは思ってもみなかった。
畑は借りているものだし、果樹は幹に虫が入って1年で枯死してしまうこともある。それにありがたくも畑を貸してくれた人はその畑の果実を楽しみにしている。本当は無農薬を試したいけど、どちらの生態もよく理解していない。失敗覚悟で信条を貫くには、貸してくれた人たちへ迷惑をかけることも同時に覚悟しなければならない。揉め事が起こったら、とても残念だし近隣の皆さんからはもう二度と畑は貸してもらえなくなるだろう。それを考えると今は選択できない。と説明したらよく理解してくれた。周りへの配慮を覆すには、無農薬栽培のノウハウが蓄積されたときか、農薬散布で体が悲鳴をあげた時に再考することにしたい。
とはいえ、自宅の畑は無農薬を貫きたいと思う。この地でのノウハウを開発しながら、外の畑では減農薬という手段をたどってみたいと思う。減らすためにできることは是非やってみたい。
2010/01/04
シェアーハウス?共同生活?
ここの住人の中で長女の鼓が一番の保守派だ。
一人だけ身勝手な両親に引っ張られて来てしまったこともあるし、地元の学校に通っているということも大きな要因。この前食卓で竹を食べる道産子馬の話が出た。手入れができていない林や里山の下草を食べさせたら地域貢献もできるし、農資材の運搬にも使えるしいいね~なんて話をしていた流れで鼓の学校まで馬車に乗って迎えに行く~なんて言ったら半泣きで拒否された。
牧丘での生活では、共同生活という要素は欠かせない。
ほぼ毎日食事を共に取る。一緒に働いて、なんとなく協力して暮らしを回していく。でも、その共同生活っていう言葉は、どうもストイックな印象を持たれることが多いらしい。人によっては宗教的なものまで感じ取るらしい。共同生活よりシェアーハウスの方が印象がやわらかい感じ。確かに。でもカタカナが苦手な近所の方にはちょっと伝わりづらい。
外から見た印象と実情は常に違いがある。この前、隣の部落の長老からこんな話を聞いた。
あそこの家はなにして食っているのかよくわからん。それに小学校の女子がいるのに、独身の男性なんかうろうろしていて大丈夫か?なんて話。直接僕らのことは知らないけど、若い奴らが引っ越してきたことは知っている、そんな皆さんに不安を与えていたらしい。僕らは異物。とても当たり前な反応で、移住してからそれほど時間が経っていない事を再認識する。その長老との会話はとても興味深かった。
農村の高齢化の話と後継者不足。ご先祖から引き継いできた恵みの大地が放置される危機。
若い人が来ても、うまくいかない。手をこまねいている内に老いが進む。
共同生活について、いぶかしがっていた長老にその理由の説明をした。新規就農で慣行農法を始める際、ビニールハウスや農機具、耕耘機や管理機、肥料農薬などの農資材を一気に投資することになる。そのため農協から借金して資金を調達して経営を開始する。金を借りることで、金を返すための仕事が始まってしまう。だから暮らしも回らなくなって経営が行き詰まって失敗してしまう。だから、僕らは金を掛けないで暮らしを作りたいと思っていること、そして自分の食べるものは自分で作りたいと思っているので、換金作物の果樹だけじゃなくて野菜にも穀物にも農地を使いたいと思っていること、経済の針の振り子をできるだけ小さくしたいと思っていることを伝えた。
そのプロセスを踏んでいくには借金して身の丈に合わない設備を買って始めるより、仲間と一緒に協働・分業して進めたほうがより早いし安定感があると経済絡みの話をしたら納得してくれた。長老はなにより地域から信頼されるには経済的に自立していること。そうすれば地域にすぐ溶け込めると言われた。
実情は、アホビレッジで好きなことして暮らすために、家族と仲間と寄り添って力を合わせて暮らすのだ。目指すは田舎でもない都会でもない質のいい豊かな暮らし。自己犠牲や清貧なんぞ端から勘弁!でも空間と時間をうまく共有して幸せでいるには、ちょっとした工夫も必要だったりする。
自分も他の人も好きなことだけするんだけど、その好きなことが誰かの益につながっていると、自分も周りも気持ちがいい。そして人に期待しない。期待をすると出てくるのは不満。期待しないと出てくるものは感謝。人は自分の思い通りにはならないから、最初から人の気まぐれに感謝したほうが幸せだ。
独占欲、顕示欲、支配欲、秩序欲・・暮らしながら自分にもいろんな欲が潜んでいるなーと思う。でも、欲に走ると最終的には奪い合い。奪い合うなら別に暮らしたほうがいい。欲は不安の裏返し。ストレスを感じる時は何を不安に感じているか向き合うきっかけだ。「個」でなく「共」の思想と行動が関係に安心を生み出すようだ。
それぞれが好き勝手やる結果が融合して思いもしないようないい形になっていく。多様性と融合が面白い。だから友族が移住してしまうのはとても残念。運気の流れがいい時は偶然が味方してくれるけど、避けられないこともある。
共同生活とシェアーハウス。僕らの場合は寝室をシェアーするほどプライベートがないわけでもない。でも一人だけだとアップアップになっちゃうし、分けたら足りない。だから土地と働く家の設備をシェアーする。土地を共有するから一緒に働き、食べ、暮らしを作る。
今日の午後は男衆3人で野焼きしつつ畑のデザイン。温室の設置場所とラビットランの設置プランを相談。
夜はトマトクリームパスタと生姜の効いたコンソメスープ。そんな感じの暮らし。
一人だけ身勝手な両親に引っ張られて来てしまったこともあるし、地元の学校に通っているということも大きな要因。この前食卓で竹を食べる道産子馬の話が出た。手入れができていない林や里山の下草を食べさせたら地域貢献もできるし、農資材の運搬にも使えるしいいね~なんて話をしていた流れで鼓の学校まで馬車に乗って迎えに行く~なんて言ったら半泣きで拒否された。
牧丘での生活では、共同生活という要素は欠かせない。
ほぼ毎日食事を共に取る。一緒に働いて、なんとなく協力して暮らしを回していく。でも、その共同生活っていう言葉は、どうもストイックな印象を持たれることが多いらしい。人によっては宗教的なものまで感じ取るらしい。共同生活よりシェアーハウスの方が印象がやわらかい感じ。確かに。でもカタカナが苦手な近所の方にはちょっと伝わりづらい。
外から見た印象と実情は常に違いがある。この前、隣の部落の長老からこんな話を聞いた。
あそこの家はなにして食っているのかよくわからん。それに小学校の女子がいるのに、独身の男性なんかうろうろしていて大丈夫か?なんて話。直接僕らのことは知らないけど、若い奴らが引っ越してきたことは知っている、そんな皆さんに不安を与えていたらしい。僕らは異物。とても当たり前な反応で、移住してからそれほど時間が経っていない事を再認識する。その長老との会話はとても興味深かった。
農村の高齢化の話と後継者不足。ご先祖から引き継いできた恵みの大地が放置される危機。
若い人が来ても、うまくいかない。手をこまねいている内に老いが進む。
共同生活について、いぶかしがっていた長老にその理由の説明をした。新規就農で慣行農法を始める際、ビニールハウスや農機具、耕耘機や管理機、肥料農薬などの農資材を一気に投資することになる。そのため農協から借金して資金を調達して経営を開始する。金を借りることで、金を返すための仕事が始まってしまう。だから暮らしも回らなくなって経営が行き詰まって失敗してしまう。だから、僕らは金を掛けないで暮らしを作りたいと思っていること、そして自分の食べるものは自分で作りたいと思っているので、換金作物の果樹だけじゃなくて野菜にも穀物にも農地を使いたいと思っていること、経済の針の振り子をできるだけ小さくしたいと思っていることを伝えた。
そのプロセスを踏んでいくには借金して身の丈に合わない設備を買って始めるより、仲間と一緒に協働・分業して進めたほうがより早いし安定感があると経済絡みの話をしたら納得してくれた。長老はなにより地域から信頼されるには経済的に自立していること。そうすれば地域にすぐ溶け込めると言われた。
実情は、アホビレッジで好きなことして暮らすために、家族と仲間と寄り添って力を合わせて暮らすのだ。目指すは田舎でもない都会でもない質のいい豊かな暮らし。自己犠牲や清貧なんぞ端から勘弁!でも空間と時間をうまく共有して幸せでいるには、ちょっとした工夫も必要だったりする。
自分も他の人も好きなことだけするんだけど、その好きなことが誰かの益につながっていると、自分も周りも気持ちがいい。そして人に期待しない。期待をすると出てくるのは不満。期待しないと出てくるものは感謝。人は自分の思い通りにはならないから、最初から人の気まぐれに感謝したほうが幸せだ。
独占欲、顕示欲、支配欲、秩序欲・・暮らしながら自分にもいろんな欲が潜んでいるなーと思う。でも、欲に走ると最終的には奪い合い。奪い合うなら別に暮らしたほうがいい。欲は不安の裏返し。ストレスを感じる時は何を不安に感じているか向き合うきっかけだ。「個」でなく「共」の思想と行動が関係に安心を生み出すようだ。
それぞれが好き勝手やる結果が融合して思いもしないようないい形になっていく。多様性と融合が面白い。だから友族が移住してしまうのはとても残念。運気の流れがいい時は偶然が味方してくれるけど、避けられないこともある。
共同生活とシェアーハウス。僕らの場合は寝室をシェアーするほどプライベートがないわけでもない。でも一人だけだとアップアップになっちゃうし、分けたら足りない。だから土地と働く家の設備をシェアーする。土地を共有するから一緒に働き、食べ、暮らしを作る。
今日の午後は男衆3人で野焼きしつつ畑のデザイン。温室の設置場所とラビットランの設置プランを相談。
夜はトマトクリームパスタと生姜の効いたコンソメスープ。そんな感じの暮らし。
2010/01/03
子育て正月
年末年始は牧丘を離れ相方の実家を拠点に寝正月。
子供ができてからというもの年始めの親族への顔見せは自分の根っこを知る大事なイベント。
寝正月といっても3時間おきの双子の腹時計に従って、夫婦で目を擦りながら腕に抱きつつ授乳をしている。どうも小さいながらも寝入るのをちゃんと見ているようで、床についてから30分もしないうちに一回目の催促が始まる。23時、2時、5時。夜の目覚ましは当然日中の眠気を誘う。今は大体3時間間隔。間隔は赤子のお腹のキャパ。大きくなればその分間隔が長くなる。だから、早く大きくなってくれと思いつつもあまり早く大きくなってくれるな、と身勝手な思いがよぎる。
双子にはそれぞれ個性がある。なき方も声も違うから聞き分けることができる。弦は手足が分厚く、首をしきりに動かしている。そして力が強い。顔はなんとなく相方似で、手足が自分に似ている。歌は逆に指が細く、顔つきもやわらかい。体重も軽い。オムツを替える回数も違う。哺乳瓶の吸い口の好み、表情もそれぞれ。どれも個性だ。
鼓はなかなか複雑な心境らしい。双子も大好きだ。でも双子の方が大事にされている。親には見せないようにストレスを人に出す時があるようでとても切なくなる。たまには思いっきり甘えられる時間があるといいのだろうか。確かに赤子に目が行きがちなんだけど、双子が生まれてからの鼓は成長を加速させている。この前、責任という言葉の説明を求められた。
そんな家族との年末年始。とても楽しい。