昨日はオーナーのお母さんの葬儀に出席した。
一昨日、90歳で他界された。告別式の受付を依頼され、半日、喪服を着て役目を果たした。久しぶりのスーツとネクタイ。生前、介護施設を訪れ一度だけ挨拶をさせていただいた。お世話になっているオーナーの役に立てるのであればと思い役目を頂戴した。
この牧丘の土地や風景の思い出をとても大事している故人の親族の話をいろいろ聞かせていただいた。還暦を迎えたような方たちが中学生だった時の記憶。この家が古民家でなく、家族を包み込む生きている家だった頃の話。養蚕をして梅雨の時期に炭を焚いていた頃の記憶。この家が傾いた訳。蒟蒻農家、桑畑、リンゴ農家。自分が知らないこの家の遍歴を語る人たちがいた。今、僕らが住むこの家のことだ。そして、親族だけで行われる儀式にも参列し、一緒に故人を偲んだ。彼らの記憶と自分が見ている風景が交じり合って、この場所にいることをとても奇妙に感じた。
流れの中で引き継ぐ人がいなくなって、ご先祖とは縁もゆかりもない僕らが家と土地を借り受けていること。大事な思い出があるこの土地が他人に使われていること。この家を内側からみていた彼らが心の奥でどんな風に受け止めているかは計り知れない。ただ、皆口を揃えたように牧丘はいいところだ、小さいときはよく遊んだといっていた。記憶の重みを感じて、自分は今この土地にいられてとても幸せだと言う他、何もいえなかった。彼らのこの土地に対する愛着を、僕はこれからどう受け止めどんな行動を起こすのだろう。
僕の先祖は別にいる。でも、この土地を作ってきたこの土地の先祖には感謝をしたい。ご親族がこれからもこの家に遊びに来れるような場つくりをしたい。そして新たな記憶を共有できたらいいと思う。
家には仏壇が置いてある。まだ位牌やご先祖の写真もある。こっそり線香を焚いた。
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