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2009/12/21

メール受信できません

連絡です。
普段使っているメールアドレス、
greenlielabo@cpost.plala.or.jpのアドレスが現在受信不能です。
再開したらまた報告します。

みっちー


2009/12/19

双子と畑仕事

ご無沙汰しております。
なんとかやってます。
牧丘はとても寒いです。今朝は-6℃。

本当に多くの皆さんからお祝いやご支援をいただきました。
ありがとうございます。感謝、感謝です。

歌と弦が生まれて生活が一変しました。
日常のすべてが二人に引っ張られてしまう引力を持っていて、
深夜に立って抱かないと泣き止まない時なんてのもあります。
二人同時に泣いたり、寝たりする時もあります。

でも、弦はよく泣き、歌はいつも寝ています。
いつの間にか弦の体重が歌を抜きました。

毎夜、子供達がずらり3人も寝ていいます。
これほど頼もしく、奮い立たせる存在はいままでなかったと思います。
子供達には暮らしながら食べていける環境を遺してやりたい。
後はそれぞれやりたいことを存分にやればいいかななんて思っています。

子供達に期待することは、自身への期待の裏返し。
自分の子供に望むなら、自分がやらんでどうする、とさらに精進したいと思います。はい。

*******

日中の仕事はキウイ棚の撤去。じーのも相当がんばっている。
1週間くらいで総長2キロは越える針金を巻き取りました。
これから長さが150メートルくらいのワイヤーを巻き取ります。
それと30キロくらいのコンクリ支柱60本を片付けます。男衆1名大募集です。

今片付けている場所は特別な所。
母屋から歩いて30歩にある日当たり最高の1反の農地、しかも1枚。
僕らの暮らしの心臓でもあるし、顔でもある自給用の菜園になる。

時間をかけて美しく作りたい。
たくさんの生き物が住む森のような豊かな菜園を作りたいな。かつ、作業は楽しく楽ちんがいい。永続性という意味で、その菜園内で必要なものはすべてその菜園内で入手できるようにしたい。それに田舎暮らしで一番面倒な仕事は輸送と移動。だから楽に仕事ができるようにするには配置と工夫がとても重要。これぞ、パーマカルチャーデザイン。野菜を育てて食べることは農地からの搾取。野菜を取り続けたら養分が流出し、どんどんやせていってしまう。山に取りに行くのもいいけど、輸送は結構きつい。だから、僕らは畑に木を植える。葉を落とさせ、すぐ横の畝にまき散らす。じきに腐って土になる。マメ科を植え、その横で鶏やウサギを飼い、僕らの糞尿も畑に戻す。腐植を作る。何年も繰りかえされてここの土は日本のどこの畑より豊かになる、といいな。

3割は鳥や虫や動物達に、3割は土に還し、残りを人間がいただくという位の感じを聞くと牧歌的に聞こえるが、逆に作るには相当の時間と手間がかかる。夢を語るのもほどほどに目の前にある棚を片つけなければ。更地になるまで作業は続く・・・・。最終日は野焼き。来週の後半だろうか。よかったらご一緒にどうぞ。

2009/12/02

2010年の僕ら ~ マメノキ農園

まだ、もうちょっと今年という年を振り返るには時間がある。
でも始まりの年はそろそろ終わり。双子達も相方も家に帰ってきた。いろいろあったけど今は問題はない。それにしても双子の夜泣きは強烈だ。順番に泣く(^^)

2010年は成長の始まりの年だ。いい流れを作って自分たちで歩いていけるようにしたい。自分達で流れを引き寄せないとね~。
1年前から名前についていろいろ考えてたけど、どれも今ひとつしっくり来なかった。決める必要もなかったのだと思う。でも、近所にできた長老系の知り合いから、名前を決めてほしいという要望を重ねていただいてしまった。名前を決めるいいきっかけだ。経済性ってことで待ってても埒があかない。認識してもらうには看板が必要だ。

牧丘辻屋の僕らは、来年以降マメノキと名乗りたいと思う。農産物や加工品を販売する際、農園をつけて、マメノキ農園。そのうちカフェも作るだろう。そしたらマメノキ飯店?マメノキ茶屋でもいいかも。マメノキ牧場っていうのも真剣に考えたけど、牛とかを飼ってからじゃないとあほすぎるってことになった。果たして牛は本当にやっているのか?今のところ予定はない。

僕らをつなげるキーワードの一つ、パーマカルチャー。パーマカルチャリストはマメ科の植物を重用する。マメ科の植物は空気中の窒素を地中に固定してくれるいい奴。つまり周りの植物の栄養源を供給してくれる。今は苗だけど、マメノキが授けてくれる土地を豊かにする力でどんどん成長して、地域や友族と一緒に豊かになれればいい。そんな思いを、自分としては、含ませたいと思う。

理想を言えば、野菜やキノコ、様々な果樹や、穀物やら卵やら、それこそ百姓らしく百の作物を作って、近所の人たちに買ってもらって、近隣の経済に溶け込んで暮らしていきたい。敷地の中で暮らすことが経済と直結するようにしていきたい。でも、僕らにはまだまだ品目も余剰分も少ないし、生活インフラもまだまだ普通の生活よりマイナスの状態だ。資材を購入する資金も必要。逆に僕らの強みは目の前に広がる一枚のまとまった農地。そしてなにより一緒に協力し合える友族だ。

来年のマメノキ農園はトマトと唐辛子が主力。それにいろんな苗、梅、綿花、かぼちゃ。山梨のいろんな先生をよんでのワークショップを経済の柱としたい。もちろん化学系の農薬は使わないつもり。今年は例えばトマトを作ってみよう!と思って畑をやっていた。来年はトマトを「商品化」するという視点を加えて最初から最後まで流れを踏んでやってみたい。そんな感じで畑で汗をかきつつ、浄化槽やら、トラックやら、使いやすい綺麗なキッチンを使えるようにしていく予定。ホームページも作ろうってことになった。お手伝いしてくれる方募集中。それと、リンゴとブドウの袋掛けも大きな仕事だ。商品ロゴも作りたい。手伝ってくれる方、こちらも募集中です。

個人的にはブドウとリンゴの畑も回していく。経済を回すという意味で主体的に関わる畑は全部ぜ8反ほど。結構な広さだ。来年もがんばるぞ。

2009/11/17

双子と小さいママ誕生!

牧丘に引っ越したのとほぼ同時に判明した相方の妊娠。
初夏はつわり、初秋からの入院。一昨日ついに生まれた。元気な赤ちゃんが出てきた!

彼女は先週からとても血圧が高かった。
ウテメリンの点滴をはずしてからは顕著だった。胎児の成長と相方の体への負担、その負担が血圧という形で計測できていた。血圧は心臓が押し出す血流の強さ。強くなければキチンと循環しないから高くなる。血栓で詰まればまずいことになるし、特に出産時はただでさえ血圧が高くなる。先生と相談して早いとこ出しちゃおうってことになった。

9時過ぎに促進剤の点滴開始。最初は12ml/hrから、40分毎に12mlづつ増やしていった。昼くらいまでは、学校を早退した娘と一緒になんともなく元気にしていた。13時過ぎから周期性の痛みが始まった。促進剤の数値は72ミリリットル、1分くらいの痛みが続く。最初は5分くらい間隔開いていたのが段々短くなる。2時くらいには歩けるうちに陣痛室にってことで、分娩室の横にある薄暗い小部屋に通された。陣痛室には大部屋のよりちょっといいベッドが置いてあるらしい。相方は笑いながら歩いていった。

痛みがだんだん大きくなってくるようで、徐々に顔から余裕がなくなってきた。看護師さんや助産師さんがなんとなく忙しくいろいろ準備をしている。段々痛がらないほうが短くなってきたかな~と思っていたら、分娩室に通された。もちろん娘も一緒に。緑の医療用のエプロンを二人でつけた。リキんでOK、になってから一時間くらいだったかな。16:10に歌が出てきて、16:30に弦が出てきた。鼓の時より短かったし、相方のいきみ方も軽かったように思う。印象的には安産だった。

日も落ちて、お疲れ~無事でよかったね~なんて言いあってたら、相方の様子がおかしい。血圧が落ちず、息が苦しいらしい。酸素マスクをつけると息が整う。寒さを訴え、熱もあった。出産後にはままあるようなので、しばらく様子を見ようなんてことになったけど、いつまでも熱も呼吸も落ち着かなかった。先生が大学病院に搬送しようって話をし始めた。酸素濃度をあげないと息が整わないのは、何らかの事情で肺の機能が低下しているということ。でもここじゃ検査できないので特定できない。だから大学病院で検査と処置を受けてほしい。そう言われた。

疲れているというだけの状態ではなかったので、相方もすぐに納得した。すぐに救急車で搬送された。後ろから車を運転して一人で付いていった。車中は焦りとビビリと悲しさと不安。吐きそうだった。出産に付きまとう死については意識はしていたし、もし相方が娘と自分を残してということも・・覚悟せねばと考えたこともあった。でも双子と長女で3人となると話が全然変わってくる。想像を絶した。でもそれは杞憂だった。

いろんな方にご心配をかけたが、今はもうとうに山を越えた感じ。もうちょっと入院が続くが、ここから先は流れでうまくいくような気がする。気力もあるし、彼女が生理的に元気さを取り戻すために必要な時間を消化していけばいい。とはいっても、大学病院は酷だ。がんばれ。彼女は、週が浅く出てきてしまって育成機で点滴を打たれるハズだった双子の身代わりになってくれたんだと思うようにした。いつも母は偉大だ。


娘は小さなママになると母性全開中だ。相方が入院してから1.5ヶ月、お母さんが死んでしまうかもしれない不安。彼女が独り占めしていた大人の視線が双子達に向けられてしまう寂しさの反面、世話をする側に立つうれしさを感じている(らしい)。なかなか複雑な心境なハズだけど、それもちゃんと受け止めている。出産に立ち会うことも自分で決めた。相方が大きな病院に入院している間、別の病院にいる赤ちゃんの世話は自分がするといてはりきっている。彼女は以前と比べてしっかり者になったように思う。そして今までにないやさしい表情をするようになった。双子の出産で一人娘はお姉さんになった。そのこともとてもうれしい。

2009/11/10

果樹園開園?

近所の畑を借りることになりました!!
ブドウ畑を1.5反、リンゴ畑を2反ほどだ。どれも来年も収穫できる成園というのがすごく幸運だ。
とりあえずほっとしたってところが本音。来年の目処がついた。新たな運にちゃんと乗っかれた感じがする。

畑は8月くらいから増やしたいなと思っていた。とりあえず休耕地の紹介事業をやってる市役所の農地課にいって空きの農地について問い合わせていた。が、わが山梨市中牧地区には休耕地の申請が一つもないらしく・・。あてがなくなっちゃった・・とちょっと焦っていた。近所の方に聞くしかない。けど、自宅の開墾は全部終わっているわけではないから、新しく手を広げる話はなかな切り出しにくかった。

いつも僕らを気に掛けてくれているオーナーの親戚のおばさん。もも、ブドウや柿、なにかといろいろ届けてくれる。御礼にかぼちゃを届けにいった。開いてる畑があれば紹介してもらえないかと相談したら、その場で彼女の畑を貸してくれることになった。他にも探してくれるといってくれた。なんとありがたいことだ。おまけに人参までいただいてしまった。足を向けて寝れない。今年の冬からブドウの世話が始まる。

山梨市市役所はやさしい人たちが多い。僕らが家や農地を探していることを分かってくれていて、いろいろ声を掛けてくれる。先日も近所に空き家が1軒出たってわざわざ立寄ってくれた。その日はなぜかフットワーク軽くその足で空き家を見に行った。オーナー夫婦らは畑をしてくれる人を探してたので是非!とお願いしてみた。そしたら昨日、家にオーナー夫妻の突然の訪問。もし畑を借りたいなら明日の朝、畑に来てほしいといわれた。ちょっとどきどきしつつ、今日伺ったらオーナー夫妻の師匠って人が待っていた。突然畑の説明が始まって、どれが来年からとれるだの品種や作業の種類なんかを教えてくれた。どうやら草生栽培で除草剤は使わない方針らしい。そりゃ、願ったりかなったりだ。嬉々としていたら逆に喜んでくれた。せっかく10年以上除草剤撒かずに土を育ててきたんだから、撒く奴に貸したら一辺で台無しだと教えてくれた。自分はどうやら試験にパスしたみたいだ。なんだか分からんけど人柄がいいことになった(笑)

人生何がどう転ぶか分からない。
でも運を運んでくる波は自分が踏み出した一歩が最初のきっかけだ。
そして助けてくれる人がいる。ありがたいです。

そういうことで、来年はリンゴとブドウがたくさん食べれるようになります。
富士でシードル作りとかどうですかね。

2009/11/03

最近の仕事

相方が入院してから1ヶ月が経った。
24時間点滴を打って、病室で一人で耐える方がどれだけ大変か。そう思うと体を動かすのを止められない。でも倒れては元も子もない。ぎりぎりのところまで攻めるのが面白い。心の健康にも気をつける。楽しくなかったら意味がない。でも体の疲れがちょろちょろ口から毒になって出てくる。そんな日の翌日はあえて何もしない。平日昼間の温泉はとても贅沢だけど、たまにはいいかな。

今の牧丘は日中体を動かすには最高だ。何しろ寒い。動いても汗をかかない。今週は今秋初めて零下になった。鼻先に冬の匂いがする。ここの寒さは強烈だ。いろいろ体を動かすのはほぼ寒さ対策だ。後今月末で生まれるであろう双子や久しぶりに帰ってくる相方が少しでも快適であればいいと思っている。
穴だらけの障子を張替え、障子やふすまと柱の隙間を木でカバーした。家のゆがみはひどく、大きいところで8センチも隙間があった。最初は細長い三角形を作ってやろうと思ったが、手間が相当かかるので取り急ぎ角材を打ち付けて穴をふさぐようにした。見た目?それなり。キチンとやるには家全体を取り組まなければならない。かくして一応穴はふさがったが、障子だけではいささか心許ないので障子の直外にカーテン代わりに帆布をたらすことにした。我が家のスペースは障子が12枚。それだけでも24メートルの帆布が必要。帆布はなにかと使い回しがいいので50メートル巻を1本購入した。布仕事は得意ではないけど、来週あたりはカーテンつくりに没頭かな。

思えば今年は家作りに相当時間を掛けた。でも、マイナスをゼロに持っていく作業がほとんどだ。アパートを借りればほとんどすでに備わっているものばかりだ。8畳2間で家族の寝室とさせてもらっているが、部屋の掃除に始まり、埃対策で天井にベニヤをはり、剥がれかけた壁に珪藻土を塗り、床間と仏間をクローゼットに変え、障子を張替え、ベッドと娘の机を作った。これから、1ヶ月で隣の部屋との間に壁を作り、自分の机を作り、新しいベッドを作る。あぁ、相方の和服をしまう箪笥も作る予定だ。ゾーン0が固まらなきゃ、ゾーン1には入れない。気持ちのいい私的空間がやっぱり必要だ~。

そういえば牧丘に薪ストーブが、ついに!入った。
ようやくリンゴの木が薪になって、暖かい土間で飯が食べれるようになったよ。
まだチェックしてない方是非。

生活の器を作るのが男性。器に魂を入れるのが女性。
男性だけでも女性だけでも具合が悪い。両方が揃って初めて豊かになれると、最近心底思う。

2009/10/27

双子の名前

相方の入院もそろそろ3週間ほど経過した。
やる気はあれどもさすがに息切れしてしまった。ここ3日はお休みな感じとしている。
多くの人に心配していただき、応援の言葉をいただく。ありがたいことだ。

双子の名前を決めた。一人目の時は、ある日突然車の中で相方から告げられたから、もちろんいい名前なので賛成したけど、名前をあれこれ考えるのも楽しみたいってことで、2番目が出来たら自分の番だということになっていた。しばらく考えた。最初に世に出てくるのは女の子。歌(うた)と名付けた。2番目に出てくる子は男の子。弦(げん)とした。鼓も合わせて3人でも、2人でも、1人でもそれぞれの人生を奏でられるように。

実は出産まで後3週間ほどだと言われている。予定日は12月17日だけど誕生日は1ヶ月ほど早くなる。おかげさまですくすく育った双子はそれぞれが世間の胎児の標準体重をわずかに上回り、32週ですでに合計4キロ以上になっている。一人ならとても大きな赤ちゃんだ。本来の予定日まで引っ張るとだと母体のキャパを物理的に越えてしまうようだ。うまくいけば後2週間位で相方に24時間お供しているウテメリン点滴が外れ、自然に陣痛を待つようになる。

点滴液を常時腕から注入され、ベッド上での安静を強いられている相方に体の変化が出てきたように思う。。お腹は大きくなる一方だけど、体の線が細くなってきた。胎児に吸われているのもあると思うけど、筋肉が落ちた感じもある。あまり動けないから血流も悪い。病院食は彼女が今まで避けてきたいわゆる栄養学的な食事。肉と生野菜でバランスを取らざるを得ない。しかも24時間5%ブドウ糖が入った動悸や震えを引き起こす液体を注入されている。(子宮を緩ますためね。)陰性に傾くじゃん。病院には塩、味噌など調味料を持ち込みせめてもの抵抗。肉を少々残して、ちょい濃い目の味付けで副菜をいただく。事前に梅肉エキスを一匙舐める。家から煮物とかをたまにもっていく。この数週間で煮物が少しうまくなった。それと妊婦にはリンパマッサージがとてもよく効く。足の付け根に施すと調子が落ちない。妊婦を妻に持つ自分が直接妻の健康に貢献できる唯一のことだ。世の男性にも妊婦マッサージを勧めたいと思う。

出産入院はとても大変だけども、家族の絆はとても深まった思う。大変だからこそなのかな。このまま歌と弦が元気に誕生し、相方が元気に返ってくることを切に願う。

2009/10/19

麦の種蒔き


先週から麦に追われている。

それもそろそろ一段落だ。ふぅ新しく何かやるときには、段取りがある。
いくつかの手順を踏まないと、ことがうまく運ばないことが多い。今回の麦もそんな感じだった。最近、なにかやるときは最初の一手が後になって響いてくることが多くて、なるべく、時間はかかるけど丁寧にやることを心がけている。

麦を植えるところは、3分の一ほど収穫前の大豆の植わった所。棟梁が春先に作った薪置き場の一枚。1反弱。大豆のところ以外は草がぼうぼう。かれたリンゴの木も林立していた。雑草を刈り倒し、落ちている長尺の針金を拾い、たばね、木の枝を払ってからリンゴを倒し、幹と枝を分けて積み上げる。刈ってからしばらくして乾いた雑草を積み上げる。ところが雑草の量が半端なくて背丈くらいの雑草の山4つ分。急遽一枚上の畑にたまねぎやにんにくの定植用の畝を作って、新聞引いてその上に雑草を撒き散らしてマルチにした。通路も全部マルチできた。

最近、なるべく日常の作業、特に畑の作業にいろんな意味合いを持たせてモティベーションを高めようとしている。麦を植えるためにリンゴの木を倒すんだけど同時に薪準備になっていたり、雑草を刈るのはマルチ材の収穫っていう意味合いもあったりする。それと麦藁は養鶏に使えるかな。ここに植える麦やそろそろ収穫の大豆も、近いうちに家族の血となり肉となるんだな~っと思ってみたりする。どんな風に食べようか。味噌?うどん?食うことばっかりだ。そんなことを考えながら作業を進めると楽しい。

作業には農機具が大活躍だ。刈払機、チェーンソウ、耕耘機。開拓するには必須アイテムだと思う。今回の作業は、大豆の上から麦を蒔いてみたい。来月には収穫する大豆。今から麦を蒔いて麦がちゃんと育つのかな?だめもとで実験。麦の収穫は6月(?)、6月のその場所はうっそうとしていた。だからある程度雑草たちを弱くしておきたいから株間を鍬でちょっとすきこんでみる。ところがかつて雑草負けして救出された大豆たちは実付きはいいものの蔓化して地面にへばりついている。鍬が入れられない。急遽リンゴの木で支柱を何十本も作って一本一本起こしてあげた。大豆の周りの雑草をキチンと刈っておけば、この作業は生じなかったハズだから、サボらずにやろうと思ったりする。最初の手間が大事なんだ、そして常に今は最初とまた刷り込まれる。鍬の扱いを間違って大豆の株を4本も切ってしまった。枝豆として食べたが、むちゃくちゃうまかった。

ようやく主だった雑草たちが除草され、軽く熊手で残りの雑草を取り除いたあと、ようやく耕耘機の出番。これまた一日かかりの作業。たてに耕し横にも耕し合計2回機械を回して終了。手の平の一番へこんだところにマメが出来た。耕耘機なんてものは最後の仕上げの作業だ。

かくして10日ほどかかった麦の植付準備も完了!。後は手押し種蒔き機というものを入手したのでそれで蒔けばいいと思っていたら、実際使ってみたらうまく稼動しない・・・。結局ばら撒きをすることになった。品種はたーぼさんからギャザリングでいただいたユキチカラ。どんな麦になるか楽しみだ。種蒔きは牧丘に遊びに来た友達が種蒔きを手伝ってくれた。3~4人くらいで肩を並べて小刻みに歩きつつぽろぽろ種を落としながらその後を踏んでいった。助けがあるとほんとに助かる。一人でやったら一日作業だった。

さぁ、どんな麦が出来るか、楽しみだ。収穫できたら一緒にうどん?パン?を楽しもう。

2009/10/08

博士と一緒 - 養鶏見学ツアー①



友達の博士と一緒に養鶏場を二ヵ所見学した。

見学したのは神奈川県小田原のあいらんどという養鶏場、そして群馬県沼田市にある子持自然恵農場。二つとも、かつて養鶏を営んだ博士のお勧めの養鶏場だ。平飼いの自然養鶏というスタイルの中で、とても対照的な養鶏場だった。台風18号が迫りつつあるあいにくの雨中の見学ツアーだったが、とても大きな学びがあった。

一つ目の小田原の養鶏場は「発酵利用の自然養鶏」という本を書かれた笹村出さんが経営している。地域から排出される資源などを飼料として利用して養鶏を営んでいられる。おから、ふすま、そばぬか、米ぬか、鰹節の出し殻、お茶の絞りかす、みかんジュースの絞りかすなどなどくず米以外には金を掛けずに健康な鳥、生命力のある卵を育てている。鶏の健康のポイントはいろいろあろうが、そこでは好気性発酵と嫌気性発酵を組み合わせながら飼料作りを行い、鶏舎の床がすべてと常に発酵状態にしている。床をほじったらあったかい。ここでのいい卵の定義はいい雛ができる卵。
養鶏は観察だと著書に書かれている笹村さん、長年の経験によってか作業はポイントを抑えつつ、とてもおおらかに、かつ適当に見えた。おからをベースに嫌気性発酵させるサイレージ作り。乳酸菌を食べさせて鶏を病気に強く健康にするらしい。その他の穀物やたんぱく質系の飼料は好気性発酵させて雑菌を死滅させると共に卵の味を作る。発酵させることで生臭さがなくなるそうだ。
見学中に見聞きした技術的な部分の記載はさておき、感想を一言にするととても「身の丈」にあった養鶏方法だと感じた。片手間+ちょっとくらいでうまく回せる現場がちょうどいいスタンス。ニワトリ達も落ち着いていて幸せそうだ。地域ででる資源を再利用して作る卵。うまい・まずいは生業として当然コントロールするものの、地域に循環の輪を作るだけでなく、その輪の中でどんな卵ができるか、地域にも責任の一旦を背負わせるようなスタンスはとても面白いと思った。この養鶏なら自分にも出来るかも知れない。そう思わせてくれるサイトだった。

二つ目の沼田の養鶏場では養鶏のみならず農を生業にするということについて、目からうろこが落ちた。高い志や自然養鶏ノウハウ、そして価格という意味でも日本一の養鶏場かもしれない。まったく臭いがしなかった。(自分が養鶏場をきちんと評価できるとは思わないが・・・)卵一個100円。スーパーでは1個20円程度だ。どんな卵なんだ?

最初に面食らったのは、初対面の挨拶直後に質問された言葉。「養鶏を通じてなにを提供したいのか?なにを貢献したいのか?」直後は意味があまりよくわからなかった。
子持自然恵農場でのいい卵の定義は、健康な人ももっと健康にする卵。鶏が健康な人間よりさらに健康でないとそれは不可能だ。だから、誰よりも健康な鶏を育てることを実践している。人の口に入るものは、人の健康を左右する。健康を左右するということは、その人の人生を左右するということだ。だから本当に健康にこだわって養鶏をしている。案内していただいた瀬戸さんは、養鶏を通じて医者、薬剤師と同じだと教えてくれた。見てくれだけでなくて、本当に生命力のあるものを作る。生体エネルギーにあふれる独自の飼料を使い、自然の力を最大限借りることが出来るように鶏舎にこだわり、鶏の潜在能力を最大限引き出すように育て、産み疲れすることがないように産卵率を抑えている。

また、「環境」についてもいろいろ話をしてくださった。多くの人が感じているように自然環境は劣化している。その劣化した環境でできた食べ物で育てた鶏が人以上に健康になれますか?と問いかけられた。リサイクル資源で育てた鶏は、不健康な人のマイナス分をプラス方向に引き上げられたとしても、健康な人をより健康にすることはできないと断言された。だから、まず劣化した環境や畑に活力ある地力を取り戻さなければならない。生命力に溢れる土をつくること。その地力を利用する農業はみな同じ。養鶏も野菜も果樹もその媒体の一つであると語ってくれた。目に見えない生命力や生体エネルギーに目と心を開き、その自然の摂理ともいえる力を養鶏に利用している。発酵や微生物利用という観点からもう一歩踏み込んだ感じだ。感じるでなく、頭で理解しようと思うととても難解だ。

最初に質問されたこと、なにを提供したくて、なにを貢献したいのか?、彼はその「思い」がないと始まらない、思いの置き所が定まれば、技術的なやり方なんかいくらでもあるとそう言った。あれっ?PC的にはコンセプトデザインのことだ。確かに、金勘定で始める場合、健康を重視したり、安心を重視したり。それによってプロセスがずいぶん違ってくるだろう。「この人になにを提供し、どう貢献したいのか?」そういわれた時には家族のことを思った。多分今の自分はそこが根っこにあるんだろうと思う。それに瀬戸さんは「時は金なりという。でも本当は時は命なり。命がけでなにをするか。それが面白い。だから農業は面白くてやめられない」とも言っていた。そんな志をもって農業をやっている人に初めてであった。探求しているその深さを知れただけでも、とても幸せなことだ。

二つの養鶏場は対照的だが、自分の中では彼らの最終的なゴールは同じような気がする。かたや循環に重きを置きつつ、養鶏を通じた結果を現状として受け入れ、かたや理想の状態にすることを重要視している。残念なのは、結果としてそれぞれで出来た卵の質が違ってしまうということだ。地力がもっと強ければ、環境の劣化を進んでいなければ、きっとプロセスが違えど、結果は同じだっただろうと思う。まだ整理できていないが、自分は自然の循環の中で生きていることを実感できて、それによって心から安心できるようなものを提供したい。そして心と体が元気になるものを作りたい。そう思った。ボーっとしてると金稼ぎに走ってしまう自分を戒めねば。

いける状況だったら、出来れば雛を入れる春先にいずれかのサイトに1ヶ月ほど研修に行きたいと思う。ありがたくも双方とも受け入れてくれそうな感じだった。数ある養鶏場の中でこの二つを博士と見学したことは、なにやら必然のように感じている。小田原には博士と友族5人でいったのも、これも必然かな?

2009/10/04

平和な日・心配な日々

今日は娘の運動会だった。
朝6時半に狼煙の音で運動会が予定通り開催されることを知り、直後同じ部落の人たちと一緒に公民館にあるテントを校庭に設置した。都会の学校のような席取りもなく、悠々とした雰囲気の中で和やかに開催された。全校生徒56人。全体的にゆるい感じだけど、出場している子供達は大変だ。ほぼすべての競技に参加することになるので、なかなか忙しそうだった。友族も途中参加してくれて巨峰の丘音頭という盆踊りをみんなでグデグデながら一緒に踊る。一輪車に軽快に乗る娘の姿を見るのは純粋に驚きだ。そんな運動神経がわれら夫婦から生まれるとは・・!なかなかいい休日だった。


とはいえ、心配なことも。
昨日、検診に行った相方が突然の入院宣告を受けた。後2週間は家にいられると踏んでいたのに・・。
自宅療養ということで実際にメシ、トイレ以外は寝そべっていたのに、この2週間で切迫流産の傾向は強まっていた。いずれはと思っていた所なので覚悟して入院することになった。

運動会の参加も止められていたけど不参加はあり得ない。そして運動会の弁当は母親が作るもんだと譲れない部分を持つ相方は朝5時に起きてきっちり得意料理の弁当を作った。でも、本当はあれもこれも作りたかったに違いない。運動会が終わって、そのまま病院に向かった。予定は2ヶ月とちょっと。クリスマスには無事に帰ってこられると思っている。

出産は命懸けだから死と隣りあわせ。なくもない相方の死を思う。娘も感じている。覚悟はしなければならない。でも、それは本当はいつだって覚悟があって然るべきなんだとも思う。自分もいつ死ぬかわからない。自分もそうやって生まれてきたんだな~。帰ってくるまでの期間は、自分にとっても、娘にとっても一つの試練だと思う。これから少しの間、自分が家庭の生活のリズムを刻まなければならない。娘には、「一緒に乗り越えていこう」というスタンスで接したいと思っている。不安もあるけど、楽しくなるようにやってみよう。

2009/09/29

近況

先週末にあまりかわいくない・・メッセンジャーが来た。超陽性の騎馬民族系。
ゆかりさん公認の腹違い種違いの弟(笑)とてもうれしい話を聞かせてくれた。
アホで、純粋で、陽気なメッセンジャー。久しぶりに夜中の3時まで焼酎を飲む。
翌日は胃がもたれるのは年のせいか。困ったものだ。

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相方のお腹が目立って大きくなってきた。
予定日は12月の中旬だけど、もう臨月のような大きさだ。さすが二人前。もう胎児は1.5キロくらいはあるだろうと思う。二人分で3キロ、ちょうど生まれてもいい重さだ。胎児の成長は順調だけど、子宮が臨月まで持つかどうか。お腹のハリが恒常的で医者からは入院を勧められているが、入院は避けたいところなので自宅療養にした。飯、トイレ、ちょっとした敷地内の散歩以外は動かず寝ているように監視(!)している。それと血分補給のための日々海草料理を作っている。そのうち入院も必要なのだろうと覚悟と準備をしておこう。心配が募る。

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実は勝沼にあるワイナリーに面接に行ってみた。正社員募集のところを無理言ってバイトで頼み込んでみたんだが、とても興味深いところだったけど残念ながら縁がなかった。でもきっと今は双子ちゃんや相方のそばにいることが自然の流れなんだと思う。日常の仕事や作業に変化が出て多少スローダウンしているが、それも家族と同じ歩調で歩むということなんだろう。その選択ができることが幸せに思う。

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とはいえ、来年の食い扶持もそろそろ真剣に考えなければといったところ。やってみたいことが山ほどあるが、一点に集中できる環境ではない。ある程度絞って現実的な検討が必要だ。養鶏を中心に牧丘ファミリーとしての収益を確保し、遊休農地を新たに自分で借りて果樹の苗を育てつつ野菜作りでもしようかと思う。今年は自給用の畑の余剰分を朝市とかで売ることはあったけど、もうひとつ本格的に収益性を考えたい。来年は都内の販路を確保して、生業としての農にも足を突っ込んでみよう。苗木が成長して果実を得られるようになるまで4~5年。それまでの間は農地を空間的にも時間的にも多重生を重視してみたい。ジャガイモは3月種芋を植えてから7月で収穫できる。かぼちゃは5月に苗を移植して棚に這わせて収穫は8~9月。9月以降に養鶏ができるように3月から雛を育ててもいいかもしれない。土地から搾取するようなことにならないように気をつけよう。

*********

あまり人には言わないようにしているけど、実はオーラとか気といったように呼ばれているもの(?)が見える。二十歳くらいから見えてたと思う。教壇に立つ教授の背中から出てる気の残像が気になって話を聞かずにそればかり見ていた(笑)見えているのは体にまとわり付くエネルギー、もしくは体の中を流れ、体につなぎ止められているエネルギー。白とか赤とか青とか色が色が付いて見える。それが出ていってしまうことが死ぬということなんだと思う。でも、その力の使い方がよくわからない。経絡とか気の流れを学んでみようと思い始めている。お勧めがあったら是非声を掛けて欲しい。

2009/09/22

mission passion compasion


ゆかりさんの木の植樹をした。
9月19日からキャンプイン。赤富士がとてもきれいだった。
夜はテントを歪ませる突風が富士山から吹いた。懐かしい顔ぶれや初めて出会った人達と火を囲んだ。

当日は朝から子供達も走り回ってとてもいい陽気。みんなでハギの苗を植えた。
みんなでなんとなく協力して、土を盛ったり、水をくれたり、最後にはマルチまでしてみた。さとちゃんがもって来てくれたDVD、ゆかりさんの未公開インタビューをみんなで見た。マメの木にしたのは、マメの木は土壌を豊かにするから。植樹に多くの人が参加してくれて天気もよくて最高の一日だった。

今回で今夏3回目の富士エコ。
とても平和で人にやさしくなれる空間だった。よく人と話をした。こういったイベントを開始して自分がいろんな人と出会えるのもとてもうれしいけど、イベントを通じて自分の知っている人達が初めて出会うことが何よりうれしい。

8月末、ゆかりさんが逝った翌日に感じた彼女の存在感はもうなかった。いろんな人の夢に登場しているみたいだから、世界中を旅しているのかな。それとも、拡散して宇宙に溶け込んだかな?
生のエネルギーが死によって解き放たれると、もっと大きなエネルギーに溶け込んで、またなにかが生まれる瞬間、物質に生のエネルギーの一部が宿る。そんな風に最近思っている。

ゆかりさんの生前の写真。多分一番最後に撮影されたものだと思う。

イベント続きで少々疲れた。が、秋の種蒔きにいそしまねば~!

2009/09/03

追悼キャンプする?


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一緒にキャンプしない?

夜はちりっと寒くて焚き火が気持ちいい感じ。
「デジャーデンゆかり追悼キャンプIN富士エコ」太字

彼女を知っている人も知らない人も多くの人に来てほしい。悲しいことは分け合おう。
悲しみと絆と魂を感じる時間にしませんか?ゆかりさんがつくった一つのコミュニティーを体感しようよ。その生きた絆が彼女の遺産の一つではないかと思う。

期間は9月19日から23日まで予約しています。ちょうど19日は新月なんで星がよく見えそう。僕らの再生の日としてはいい日だと思う。でも、出来ればゆかりさんのオーストラリアでの葬式にあわせてやりたいと思ってるんだけど、どうでしょう?ゆかりさんが選んだ富士山の麓で一緒に彼女を送ろう。

といいつつも、まだ、葬儀の日程がわからないです。わかったらすぐにアップします。こんな感じのキャンプにあるんだってことを心の準備をしておいてほしいです。本当に適当ですいません。

提案が一つあります。
ゆかりさんの樹木葬をしよう。会場にマメ科の木の苗を持ち寄りませんか?だれかと交換して家で植えたりしてもいいね。ゆかりの木。

その他提案があったらできればみんなにシェアーしてほしい。ワクワクが膨らむから。
音響とかの重設備が必要そうなら相談しよう。

施設の情報だけど、この前イベントを富士エコでやったので、大体の環境がわかりました。持込テントが一つもなくても雑魚寝で70人近くは泊まれます。夜の足湯がとても気持ちいいよ。

食事は食材持ち寄りでどうでしょう。調理器具、窯、炊飯器などは富士エコのを借りられます。もちろん数に限りがあるけどね。全部持ってきてキャンプサイトで自由に作ってもOK。ただし直火NGです。

店をやるのもいいし、カフェをやりたいならやるで自由。ワークショップやるもいいし、好き勝手にやって調和の取れてる世界をつくろうよ。是非Xやら一芸を披露してほしい。みんな違ってみんないい。飲んだくれも才能だから気負わないでやろう。

費用は入場料が1500円、一泊2000円 テント持込の人は1000円位だと富士エコに薪代とか、いろいろ世話になる分きちんとお礼ができるかなと思います。会場までの足だって、なんとかみんなで情報をシェアーすればきっと大丈夫。

みんなで場を作って、集まって、ゆかりさんを感じよう。
そして今自分が生きていることを祝福しよう。

こんな感じ、どう?一緒にキャンプする?

2009/09/02

最後の夜 - ゆかりさん、ありがとう

気が遠くなるほど長いイベントがようやく終わった。

8月28日から30日までのキャンプがもともとの予定。
30日の朝8時に富士エコを出発して、羽田まで送り届けて終了。
28日の朝、小尚さんと待ち合わせてデジャーデンゆかりさんとジュジュ、バーラバージョのメンバーを相模湖まで迎えに行った。

ゆかりさんはとても元気だった。
「わーお、みっちー久しぶりー!」
彼女と一緒の空間にいると、そこにいる誰もが幸せになる。

いつものようにハイパーでいつものように暖かかった。

*******

富士山の麓でのキャンプ。
富士エコに向かう途中の樹海の道で、木漏れ日が好きだって気持ちよさそう深呼吸をした。自宅の近くにある木漏れ日が最高だって言っていた。とても興奮して、何度もうれしいだの、最高だのって言っていた。富士山がばっちり見えたときは、すぐさま雄たけびを上げていた。彼女は富士山でライブを本当にやりたかったようだ。それが出来て最高にうれしいと何度も何度も興奮気味に言った。

キャンプでは参加したみんなの距離が縮まってくるに従って場の雰囲気が徐々に変わりはじめる。でも、今回ゆかりさんが連れてきたバーラバージョはとてもスピルチュアルな人たちだったから、変化がとても早かったと思う。彼らはジャンベとダンスを媒体に心を一つにする気持ちよさを教えてくれた。

心が一つにすると、その次の瞬間から無条件でそこにいるみんなのことが大好きになっている。それもずっと昔からの友達のように、そのままの相手をそのまま受け入れている自分がいる。みんなも同じように思っているのがわかるから、心から安心することできる。そして彼女と一緒にジャンベを叩き、踊り、みんなで心を一つにした。そうやって場の空気が練りこまれていったのかもしれない。

*******

29日の夜は最高の夜だった。
結局50名近い人が集まった。

富士エコの隣の牧場からいただいた濃厚牛乳で作ったシチューと石窯で焼いたパンが夕食。みんな手分けして作ってくれた。彼女は会場で遊んでいるジュジュとつづの姿をみてとても幸せそうにしていて、3年後の祭の約束をした。牧丘の和太鼓も最高。バーラバージョの3人がアフリカンなアカペラで登場したときは鳥肌が立った。みんな恍惚と踊りまくった。盛り上がってきて、灯光機で照らされたステージでゆかりさんが踊り始めた。場のうねりがどんどん大きくなっていった。まさに絶頂だった。

一瞬で場の空気が変わった。

突然ゆかりさんが倒れ、音楽が止まった。スイッチが切れたように。ショック、動揺、不安。それがどよめきのように広がった。心臓マッサージや人工呼吸が始まり、場は騒然となった。救急車が呼ばれ彼女は病院に運ばれていった。

*******

それからのことは断片的にしか覚えていない。
かずとが救急車を呼んでくれて、誘導を仕切ってくれた。さとちゃん達が一緒に病院にいって、ぼくらは呆然とその場に残った。

「すぐ戻ってくるよ。」みんなそう思っていた。でもどきどきして不安で不安でしょうがなかった。少なくとも僕には祈ることしかできなかった。もし彼女でなく自分が倒れたなら、その瞬間、僕の回復のために全身全霊で祈りをささげてくれるだろうと思った。そんな祈りを届けたいと思った。だから、みんなで狂ったように叩いて踊って歌った。

そんな最中、相方が病院に行った友達かかってきた電話の内容を教えてくれた。

うそだ。間違いに違いない。心が受け入れることを拒否していた。世界最悪のお知らせをみんなにしなければならないのに、自分が信じていないことなんか口に出来ない。相方が急遽確認しに行ってくれたけど、彼女は泣きながら電話をしてきた。本当に本当だった。

夜1時過ぎぐらいだったと思う。
すでに直に神戸まで出発するってことになったので車3~4台で病院まで飛ばして顔を見に行った。

そこにはゆかりさんはいなかった。ゆかりさんはいたけど、ゆかりさんはいなかった。あのまぶしくて暖かいエネルギーはもうなくなっていた。病院では魂を感じることができなかった。時間になって、ゆかりさんが神戸に出発した。その場に居合わせたみんなでお別れをした。突然のことでなにがなんだかよくわからなかった。でも、彼女の死は確実だった。

*******

翌日の朝は、とても天気のいい朝だった。あったかい太陽に涼しい風。富士山がきれいに輝いて見えた。
場の空気でみんな悟っていた。誰も何も言わなくてもみんな感じている。朝からゆかりさんの気配をその場に感じ取れていた。胸の奥に悲しみともショックとも不安とも区別がつかないなにかを抱えつつも、静かで落ち着いたゆったりした時間が過ぎた。富士エコのスタッフの皆さんが作ってくれたおにぎりと味噌汁。心遣いが泣けるほどうれしかった。

でも、僕は困っていた。
悲しいことは共有したほうがいいに決まっている。でも、みんなの悲しみと混乱をちゃんと受け止める自信がない。でも、それがこの場所での自分の使命に違いないとなんとなく思っていた。他のみんなが勇気をくれたから、結局まるく座って、ジュジュも一緒にみんなで、一人一人ゆかりさんのことを話した。

言葉にはならないけど、ゆかりさんのメッセージはみんな受け取っている。
悲しみに浸ることは決して彼女は望んでなんかいない。「死は再生の始まり。循環の中に身をおくことは、とてもすばらしいことだと思わない?」ときっと彼女はそう微笑むだろう。だから、悲しみの消化を始めるきっかけを、前向きになれるきっかけを必死に探していたんだと思う。

富士山から吹く風が彼女のスピリットを感じさせてくれた。
あの時あの場所には拡散して場に溶け込んだ彼女のエネルギーが確かに存在していた。

*******

イベントの締めをしてからは、それこそ目が回るようだった。
参加者の送迎、片付け、次のイベントを主催する方への連絡、バーラバージョの移動の手配。
訃報が発信されてから、いろんな方から連絡を頂戴した。改めて彼女が築いてきたつながりの大きさにただ驚いた。
思えば、彼女が引き合わせてくれた友達は数多い。それも最高に気持ちのいい人たちだ。
きっと彼女と知り合った人は、みんなそう感じているに違いない。

急がしさがありがたかった。

結局、バーラバージョを関空まで送り届ける流れになり神戸に行くことになった。
ゆかりさんと最後のお別れをすることができた。そして、多くの友人達と悲しみを分かち合うことができた。
改めて絆を感じた。彼女の死は僕らを強く結びつける。

*******

自宅に戻り一晩明けた今もとても悲しい。
雪が積もるように悲しさが降り積もってくる。時折降り積もったものがあふれ出てくる。
僕は彼女のことが大好きだった。もうあのまぶしい暖かさと触れ合うことはできない。
でも、天と地に溶け込んだ今は、どこにいても彼女のスピリットを感じることが出来る。

今回のイベントで友達になったようこさんから、ゆかりさんからうけとった手紙を読ませていただいた。
それは彼女がご主人とオーストラリアに移住した直後の状況を知らせる手紙だった。大工仕事とガーデンつくりの毎日、現金収入をどう確保するかについての悩み、子供のこと、でもつながりの中で光明を見出しつつあって、大変だけど夢と理想に懸命にチャレンジする姿が綴られていた。手紙にあった状況は、まさしく今現在の牧丘と同じだった。今のゆかりさんは突然今の姿になったのではなくて、一つ一つ積み上げてきた結果だったんだ。やっぱり僕らは間違っていない。僕らの葛藤は、ゆかりさんが乗り越えた葛藤だった。それが心底うれしかった。

彼女から受け取ったメッセージはなんだったんだろう。まだ、書くほどには整理されていない。今を全身全霊でいきること。自分を愛すること。愛されていることを自覚すること。そして人を愛すること。愛するということは光を放つことなんだ。強烈に引き渡されたバトンを紡いでいこう。自分に必要な力はすでに備わっていると信じて、光を放って生きたいと思う。

そして、ゆかりさんが残した大きなつながりを、残された僕らの絆にしていきたいと強く思っている。
彼女が好きだった歌。去年のキャンプで歌った歌。またみんなで歌いたいな。

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一人の手  

ひとりの小さな手 何もできないけど 
それでも みんなの手とあわせれば
何かできる 何かできる

ひとりの小さな目  何も見えないけど
それでも  みんなの瞳でみつめれば
何か見える  何か見える

ひとりの小さな声  何も言えないけど
それでも  みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える

ひとりで歩く道  遠くてつらいけど
それでも  みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる  長い道も

ひとりの人間は  とても弱いけど
それでも  みんなが集まれば
強くなれる  強くなれる
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大好きだったゆかりさん。もう彼女はいない。
彼女のかっこよすぎる最後に居合わせることができて本当に幸せに思う。
彼女の遺したメッセージを糧に強く太く生きていこう。ありがとう、ゆかりさん



最後に、魂をつなげてくれたバーラバージョのサム、ニヤマ、ジョン、太鼓を叩きに来てくれた紅富士太鼓のみんな、受付とか会計やら仕切ってくれたナカイチ、サムたちのチケット変更の手配を行ってくれたロンとみゆき、ジュジュの送迎やゆかりさんのご親族とやり取りしてくれたヒロ、送迎を手伝ってくれた小尚さん、病院での対応をしてくれたさとちゃんとこーたろー、ゆかりさんの心マを懸命にしてくれたみんな、一緒に踊ってくれたアキちゃん、夜ご飯を作ってくれたりゆうか、さやちゃん、あさ、えりか、手紙をみせてくれたようこさん、僕が失敗した石釜の火入れを復活させてくれたチコ、ジャンベを貸してくれた末木さん、僕が一番気になっていたジュジュと遊んでくれた福の神とラブ、朝ごはんと昼ごはんや作ってくれた富士エコのみんな、写真を撮ってくれたレベッカ、牧丘のつながりを押さえてくれたじーの、みんなを落ち着かせてくれたタイガー、他のイベント主催者への連絡をしてくれた相方ののぞーる、イベントに参加してくれたみんな、ほんとはみんなの名前を挙げたい。みんなと幸せと悲しみを共有できて本当によかった。ありがとう&愛してるぜ。また一緒に遊ぼう!

2009/08/27

ラッキーストライク その後

落ち込み気味の日記が続くが、この2~3日間はひどかった。

左手の切り傷に包帯巻いて薄手のビニールの手袋の上に軍手をはめて農場で作業。たまねぎとにんにくを植えつける元ジャガ畑の周囲を草払機で雑草を刈った。

あちっ!急に火傷のような痛みを感じた。今度は右手の甲。タバコも吸ってないのに火種を落としたような痛み。草払機を放り出した。なんだと思って周囲を見ると、小さな蜂がぶんぶん目の前を飛び回っていた。

あいたー!蜂に刺された。当日そんなでもなかったけど、翌日から腫れはじめドラえもんのような丸い手になってしまった。右に蜂刺され。左に鎌の切り傷。かたや氷で冷やし、かたや包帯巻き。漫画みたいで自嘲気味。

とほほとはこのことだ。おかげでどうも気持ちがうまく動かない。今日はこれから切り傷の抜糸。イベントにはどうにか間に合いそうだ。

2009/08/22

ラッキーストライク でも痛い

一昨日、不運なケガに見舞われた。
大豆の救出のために雑草を刈っている最中に左手の薬指をザクッと切ってしまった。即病院いき。6針も縫うケガになってしまった・・・。昼飯後の午後2時くらい。棟梁たちが風呂の基礎作りの作業をしている最中に、今年の味噌は大豆くらいは自給せんとと意気込んで作業に入ったのもつかの間の事故。かなりへこんだ。ケガなんてこんなにつまらんことはない。

先月鎌の切れ味を望んで近くの鍛冶屋さんで購入したお気に入りの鎌。
切れ味を保つために使うたびに鎌を研ぐことを習慣つけようと気をつけていた矢先だった。先月藤野で受けた危険予知の講義では、被害者はいつも左手だということを教わった。薬指に包帯を巻きつけていて、常に上を向けていないと血流で痛む。傍からみればもろ反社会的。誰某かまわず薬指を立てていえる。春先に同じように包帯をつけた友人に突っ込みを入れまくったけど、まったく同じ状況が帰ってきた。しかも来週には太鼓のイベントを主催している・・。抜糸は開催日の前日。これじゃ叩けないよ~!

普段はそれほど活躍しているとは思わなかったけど、薬指を怪我すると思わぬような不便さを感じる。
顔を洗うとき、寝るときに手を置くとき、風呂に入るとき。料理するとき、運転するとき。握る力が弱くなるから農場でもあまり使い物にならない。タイピングもままならない・・。でもおかげでデスクワークを進めることができた。遅ればせながら秋冬の作付け計画と作業スケジュールを立てた。今年はたまねぎやにんにく、白菜、大根を相当な量を植えつけることになった。麦もこれから。風呂作りの作業も同時に走るから、忙しくて忘れがちな仕込みの仕事をきっちり進めたい。

とはいえ、デスクワークの時間を確保するために指を切ったとあっちゃ全く割りにあわない。ドジといわれつつも、起こったことに感謝すべきと言われても、痛みと不便さを感じている最中はあまり浮かばれない。

そうそう、ケガをしているときはお酒をのむと痛みが増すようだ。

2009/08/19

ようやく梅干


ようやく梅干の仕込みが終わった。

7月の始めに塩と漬け込んだ18キロの梅は、樽一杯に梅酢を上げていた。梅酢だけで8リットルはとれた。
レシピ本には3日干せとあるが、3日と連続して晴れがなく、牧丘では一日の中で必ず雨が降る日が続いていた。今回仕込んだ梅は直径3センチくらいの大梅。ちょっと長めに干した方がよさそう。
梅を一つ一つざるに並べて干す。最初の日は一日中外において夜露にあてる。2日目以降は朝、外に出して夕方縁側にしまう。最初は緑っぽかった梅も干されるにしたがって、梅干色に変わっていく。なかなか心地よい。

食べてみたらまだ塩気に過度があるけどかなりおいしい。年明けまで寝かせる。もっとおいしくなれ。

2009/08/13

巣作り


8畳一間でベッドを二つ並べて親子3人で寝泊りしている。冬には赤子が2人増えるので、5人ではさすがに8畳では手狭。隣の仏間8畳を使わせてもらうことになっているので躍起になって改装中だ。今月中に終わらせないと相方が動けなくなるので急ぎの連日作業を進めている。きっと渡り鳥達もこんな感じなのかな。

北東の日陰の一室。カビが好んで住む部屋だ。
いままでは引越し荷物を単に詰め込んだ倉庫だったが荷物を整理しつつ少しずつ進めてきた。あっちに動かしては片付け、こっちに動かしては片付け。ダンボールのテトリス。湿気と年季でぐずぐずになってしまった土壁が崩れ落ちてきたり作業はハプニング続きだ。土壁を修復し、珪藻土を塗りつつクローゼットやベッドとか他の家具を作っている。

娘が壁塗りを手伝ってくれる。なかなかの手つきだ。親子で作業はなかなか楽しい。

一方で棟梁を中心に風呂作りが進んでいる。
畑の世話はほどほどにしつつ、冬支度に汗をかく。乳幼児は温泉に入れないので自宅風呂は必須アイテムだ。部屋作りも風呂も、そのほかの作業も同時並行に進むのは共同生活のありがたいところ。もともと日本庭園っぽい庭だったらしい母屋の前の藪を伐採し、重機で地ならしして、水道を電気を引いている。最近の夏日和は作業の味方だ。

そうそう、冬に生まれる2人の雛は男の子と女の子らしい。さすが二卵性。

2009/08/12

どうやって食っていく?共同生活の経済バランスのとり方

この数日間とても地元で素敵な出会いもあり、来客も多かった。少なからず刺激を受ける。

最近の自分の中での話題。どうやって経済バランスを取っていくか。そろそろ来年の方向性を考えておかないと、土地のデザインが遅れ、仕込みの冬にしっかり準備ができないことになる。そうなれば来年の終わりにもバイト稼ぎを強いられる。それは避けたい。

今年の5~6月は目の前の梅で精一杯だった。8月に入って頼りにしていたナスやトマトが採れ始めた。うちで取れた野菜を朝市で売ったり、知り合いに箱買いをしてもらったりした。でも朝市ではカウンターに一杯は野菜を並べられるほどではないのが今の状態。質はともかく、量が圧倒的に足りない。野菜は単価が低い。量をださなゃ暮らしは厳しい。野菜で食っていくのは大変だ。それに地元では野菜を育てている人たちばっかりだ。家庭菜園で簡単に出来るものキューリ、なす、トマトはあまり買わない。珍しかったり難しい部類のものがよく売れる。隣の店のたまねぎは朝市の中でも一番早くに売り切れた。うちのズッキーニも少量ながら売り切れた。近所で育てていないものの方がいい。とはいえ、朝市は生活の柱にとしては考えるのは厳しいかも。消費者にとっての朝市は少しでも安く買うための場所。他の価格設定もスーパーよりちょっと安め。逆に生産者にとっては余ったものを安く売る場所。少なくとも山梨市の朝市はそう捉えたほうがいいみたいだ。遊びに来た都内に住む友達に聞いたらオーガニックのキュウリは朝市の倍の価格が付いているとのこと。驚きだ。品目も量も場所も大事な要素だなと思う。自分の力量もあるし、掛けられる時間もある、それなりに品目を絞って、量を出して適地で売ろう。ご近所で契約農家として野菜boxをやるには、自分の腕じゃ心もとない。

経済活動を考えるとき牧丘暮らし特有の状況がある。共同で同じ土地に住んでいることのいろんな側面が浮かび上がってくる。この土地に暮らすコストはみんなで分かち合う。自分は暮らすコストを下げるという意味で大きなメリットを受け取っている。今は、光熱費、賃貸費、水道、食費、香取線香とか共同で使用する雑貨、敷地の改修費用は共有。保険、ガソリン、車、年金、嗜好品、教育関係費などは個人の勘定になっている。逆にこの土地から生まれた収入は費用と同じようにみんなで分かち合うのは当然のことだ。ということは、その収入で最初に充足すべき費用は当然共有の費用。でも個人が負担する費用にももちろん現金が必要だ。自分のための現金を得る必要がある。

ここにジレンマが生じる。本当に悩ましい話だ。

貯金と支出のバランスによって、住み手それぞれによってタイムリミットは違うが、自分の場合、多分最大限持ち堪えて来年の秋まで。それまでに自分のために使える収入がなければ外に働きに行かなくてはならない。外で働くことということは、その分この敷地に投下できる時間が少なくなるということ。外の時間を最大限引き上げるということは、個人としての収入が増える分、共同生活の経済的メリットが相当相殺されてしまうこともあるだろうと思う。外で稼ぐ代わりに個人の費用のための円を手にする方法は、共有の支出分をすべて充足し、さらに個人に十分に分配できる収入をこの土地から得るしかない。友族と協力してできることは多いし、来年はまだ無理でも共有費はまかなうことは出来るかもしれない。共同で働くから個人としての余剰時間が生まれ、結果さらに豊かになれる。でも現実に少なからず個人支出は今月も来月もある。だから、ある程度外で稼がないと今の自分の暮らしが回らない。でもそもそもなるべく家にいたし、外での仕事は一人でやる仕事。だから、あまり手間のかかる仕事はしたくない。でも、手間と時間を掛けなけりゃ、それほど稼げない。

うーん・・。

自分がバランスを欠いて、自分が幸せじゃない状態であったなら、それは相方や子供達、他の友族の幸せにも影響する。自分だけが幸せになる方法はない。みんなが幸せになって初めて自分も幸せになれる。だからそのバランスのとり方が難しい。幸せには個人としても集団としても経済的な自立が深く関わっている。

さあ、来年は何をどの位どうやろうか。9月末くらいには方向を出したい。
目上の方2人から37歳の記念に言葉をいただいた。 

「あのね 頑張らなくてもいいからね。具体的に動くことだね(相田みつお)」
「ジェットコースターこそ人生の醍醐味」

多分そういうことなんだと思う。いずれにせよ楽しまねば。

相方のおなかがずいぶん大きくなって、寝る前にお腹に手をあてると動いているのがわかるようになった。赤子2人と娘が家にいる時、相方だけに子供を見てもらう時間は多くは作れない。赤子をおんぶしながら仕事が出来て安心して家族が食っていけるようにしたいと思う。労働力を売りに出すのは最後の最後の選択肢だ。

2009/08/06

久々!&イベント告知

梅雨がなかなか終わらないけど、ちゃんと生きてます。

同時にイベントの準備やら家具作りやらなんらやいろいろあって、
なかなか筆不精になってしまった。ということで、主催するイベント告知で~す。

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キャンプ大好き!太鼓大好き!お祭り大好き集まれ~!!
在豪のアフリカンドラム奏者"バーラバージョ"が、パーマカルチャリスト・アフリカンダンサー、デジャーデン・ゆかりと共に来日します!!夏の終わりにアフリカンな音楽やダンスを体で感じてみませんか?
日本のパワースポット・富士山で鳴り物鳴らして歌ったり踊ったり。繋がりあえるスピルチュアルな時間を一緒に楽しもう!
初心者さんも心配御無用。ぜひ友達・家族・恋人と共に遊びに来てください。
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地球と共に歌い踊り感謝を捧げる
バーラバージョ初来日ツアー with デジャーデン・ゆかり
2009年8月28日~30日 もちろん一部参加も大歓迎
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★開催日程・スケジュール
8月28日
13:00 受付
14:00 初心者用ジャンベワークショップ
16:00 経験者用ジャンベワークショップ
18:00 食事作り&食事
20:00 キャンプファイヤー&アフリカンセッション
8月29日
10:00 経験者用ジャンベワークショップ
12:00 食事作り&食事
14:00 初心者用ジャンベワークショップ
16:00 アフリカンダンスワークショップ
18:00 食事作り&食事
20:00 バーラバージョライブ&トーク 
終了後はセッション
8月30日
撤収&解散
★場所とアクセス
富士エコパークビレッジ http://www.fujieco.co.jp/
中央道・富士吉田インターから約30分。車でこられる方でカーシェアリングにご協力いただける方募集中です。
送迎が必要な方は河口湖駅まで送迎車を出します。(片道500円)
希望者はgreenlifelabo@cpost.plala.or.jp (みっちー)まで連絡ください。
★費用
参加費 1,500円
テント設営費 1000円/泊
食費 500円/1食 (1日2食・みんなで作って楽しもう^^)
中学生以下無料
★アフリカンリズムワークショップに参加する
【ジャンベワークショップ】
1回1時間30 分 2,500 円/ 人 経験者用W/S、初心者用W/Sの2種類があります。
ドラムWS へ参加の方は、ジャンベ等をご用意ください。貸し出しも可能です、1 台500 円
【アフリカンダンスワークショップ】
1回1時間30 分 2,500 円/ 人
★出店する
食べ物・ドリンク・物販なんでも出店大歓迎です。出店をご希望の方はお知らせください。
★泊まる
テント・寝袋など宿泊に必要なものはご持参ください。またテントのシェアリングにご協力いただける方は是非お知らせください。
別途費用がかかりますが、バンガローでの宿泊も可能です。ご希望の方はご連絡ください。

★踊る・楽しむ
ワークショップの後は、参加者とアーティストと一緒にキャンプファイヤーを囲んで一緒にセッション。
飲んで鳴らして歌って踊って!! 29日の夜はライブ。和太鼓とジャンベのコラボも!! わくわく企画です!
★ゆかりさんからのメッセージ
アフリカの風を、音楽とダンスそしてドラムを通じて皆さんの暮らしの中に運び、土着的かつスピリチュアルな彼らの文化のルーツを知ってもらいたいこと。日本を含む先進国の不公平不平等な分配と、搾取の犠牲となって苦しみ、今日も今この瞬間も飢餓や病気、犯罪や様々な負のスパイラルに巻き込まれ、亡くなっている人たち、子供達が、アフリカの地にはまだまだ大勢居ます。そんなアフリカの人々のために、私たちにできることは環境保護活動や経済的支援活動だけでなく、シンプルに彼らの存在を讃え、感謝の気持ちを踊りや音楽で一緒に表現すること、彼らの文化を知り、謳歌し、共に祝福することも、素晴らしい支援活動であることを、知って欲しいのです。でも、何よりも一番の趣旨は、みんなで、地球人として生きていること、ボーダレスに家族として繋がっていることを、今回はアフリカン音楽に乗りながら 一緒にエンジョイしましょう!!人生いろんなスパイスやカラーがあるほうが楽しいですから・・・ね!


★バーラバージョ  Profile
バーラバージョ ガーナ語で「共に歌い、共に踊ろう!」という意味
~音楽、歌、ダンスを通してアフリカの風をあなたへ~
2007年度、クィーンズランド・マルティカルチュラル・アチーバー賞受賞 ガーナ生まれのニ・アーマ、ケニア生まれのサム・オコスの二人は、アフリカ文化と音楽をこよなく愛すミュージシャンであり、シンガー及びダンサーである。
出身国はもとよりオーストラリア、台湾など国内外においてエネルギッシュかつ美しいメロディーを併せ持つパフォーマーとして知られている。演奏だけでなく、アフリカ文化と芸術の教授活動にも力を入れている。伝統リズムとモダンリズムを融合し、独自の情熱的でオーセンティックな音をクリエイトする彼らの演奏は、年齢を問わない幅広い層に受け入れられている。
オーストラリア・クイーンズランド州で今日最も活躍しているアフリカン・ドラム&ダンスユニットとして知られている。ブリスベンとサンシャインコーストでは毎週ダンスとドラムのワークショップを開催し、個人レッスンも受け付けている。オーストラリア国内の有名フェスティバル、政府やプライベートファンクションでの演奏は定期的に依頼され、公私立託児所、幼稚園、小学校にては何千人もの子供達が彼らの演奏に魅了されている。ニ・アーマとサム・オコスは2007年にCD「ススマ」をリリース。同年にはオー
ストラリアクィーンズランド政府より、クィーンズランド・マルティカルチュラル・アチーバ賞を受賞した。今回、日本人女性 デジャーデン・ゆかり も加入し、3人組ユニットとして日本各地をコンサート及びダンスとドラムのワークショップをして周る予定。

★デジャーデンゆかり Profire
3人の子育て真っ最中のお母さん、隠れダンサー。兵庫県出身、高校よりアメリカで過ごし、国際博覧会や万博など イベント業界に
てバブル時代は地球を渡り鳥生活。阪神大震災で被災、出産と 人生の転機が訪れ その後家族と共にオーストラリアへ移住。現在は自給自然暮らしを謳歌しながら、ホリスティックライフ体験民宿「ささやく樹」を運営。自然食醗酵食の料理教室を自宅で開催ほか、豪国のクイーンズランド州東洋医学大学でマクロビオティックを指導。コミュニティーデザイン・ファシリテーター、パーマカルチャー・デザイナー、認定講師として国内外で活躍。共著に 「個人のライフスタイルとコミュニティーの自立」 東洋企画

★問合せ・申し込み
〒404-0004 山梨県山梨市牧丘町西保下2471
岡田道夫(みっちー)&のぞみ(のぞーる)
携帯 080-6536-1317
メール 
greenlifelabo@cpost.plala.or.jp

2009/07/13

信頼とビジョン

今週末はPCCJでスタッフ仕事。

竹の伐採あり、畑あり、森の散策、竹細工と盛りだくさんだった。
基本的に普段やっている感じことばかり。でも自分も試行錯誤中なもんで、なかなか的を得た話が出来ない。とにかく今出来る範疇でやってみること。とりあえずでも自分でやったら、次にもっとうまいやり方を思いつく。そんな風に思うのと同時にとても恐縮する。

信頼とはなにか?考えさせられるタイミングがあった。
自分を傷つけない人。言動が一致している人、自分を何があっても受け入れてくれる人。そして自分が受け入れている人。時と場合によって使い分けをしているのかも。信頼という感情を言葉で説明するのはとても難しいと思った。誰しも受け入れることができる人になりたいと思う。

それと、改めて牧丘暮らしのビジョンとは?と思った。みんなで幸せに暮らすこと。金がなくても幸せに暮らし続けられること。出来ればそんな暮らしが自分達の手で本当に作れることをいろんな人に知ってもらいたい。そんな風に考えている。コンセプトからデザインに踏み込むには。もっと現実的な暮らしを詰めてデザインすることが必要だ。なぜなら暮らしには生計をたてるという側面も当然含まれる。自分では思いもつかないこともある。もっと精進せねば。

普段と違う緊張感の中での2日間。体がとても疲れていたので今日は何もしない日。縁側でハンモックに揺られるのはとても気持ちいい。

2009/07/06

3ヶ月経ちました。

藤野から引っ越して3ヶ月。遠い昔のような気がする。
会社員からの転身。最初は目が回るよう。ただ必死にリンゴの木を倒した。
なんだか何も考えられずに、ただ目の前のことに好きなだけ集中することが楽しかった。

三ヶ月目になって心持ちの変化があった。生活自体に慣れてきた。相方のつわりが収まったことも大きな要因。いままでより自分のことが少しだけはっきりわかるようになってきた気がする。わがままになったと思う。感覚が鋭くなってきたのかもしれない。その分語彙が少なくなってきているようだ。

畑と調理が好きだ。
土が自陣ゴール、人様の口が相手側のゴールとサッカーのポジションに例えてみると、シェフがFWだとすると自分はボランチ、わかりずらい表現だが、自分が心地いい位置のようだ。別に例えなくてもよいのだけど。

娘が「家の人の仕事を手伝う」という宿題をもらってきた。ここぞとばかりに畑仕事の手伝いを頼む。昨日は大豆の種蒔き。今日はほうれん草の種蒔き。ウサギ小屋の移設も一緒にやった。ウサギ小屋の移設は種蒔きの準備も兼ねている。ウサギが食べ残した雑草を刈り、マルチを施す。娘も楽しんでいるようだし、しっかり仕事ができるようになってきた。食卓に並ぶ秋ごろには自分が植えた野菜だと胸を張るであろう。その野菜をみなで分け合って食べる。最高の手伝いだ。畑の様子だが、最近はキュウリが食べきれなくなってきている。5本も6本も毎日は食べられない。ズッキーニが1日1本、ナスももうすぐスイッチが入る。

共同生活はとても楽しい。ここ3ヶ月で自分は何かしらのストレスで暮らしを楽しんでいないと、利己的な考え方に陥ってしまうことを認識した。自分の利益、自分の空間、自分の・・・。そんな時はとても苦しい。でもそんな思いにいたったときは、出来るだけ「幸せになれる考え方かどうか?」と思い起こすようにしている。得と幸は違う。得を取るのであれば、共同生活には無理が生じるようだ。結局、自分だけでは幸せにはなれない。

急に外の空気が吸いたくなって、かねてから偵察をしていた和太鼓サークルに入った。近くの体育館まで練習に参加しに行った。太鼓好きの人がたくさんいてとてもうれしく思う。太鼓を叩いているときは幸せだ。

概ねなかなかいいリハビリ生活だ。自信をもっていれば、相当楽しめる。
写真は同じ牧丘町内のブナ爺さん。乙女高原に行けば出会うことが出来る。

2009/06/30

梅シーズン終了!

今年の梅がようやく終了した。5月の中旬から約1.5ヶ月。
畑以外のときは大抵梅仕事だった。

牧丘の梅を里子に出した方は14人にもなった。
うちで作った梅酵素、梅干、梅酒、梅エキス、梅ジャム、甘露煮と同じ梅たち。同じものを口にするんだと思うとなんだかとても親近感が沸く。そんな関係が梅を通して持てるのはとても幸せなことだと思う。

来春には梅干が仕上がる。梅干を作る過程で梅酢も取れる。梅酢があれば茗荷や他の野菜も仕込めるし、料理の幅も広がる。既に酵素ジュースはがぶがぶ飲んでいる。梅のおかげで豊かさがアップした。

収穫した梅は全部で170キロくらい。少なく見ても50キロは取りきれなかった。収穫したうちの多分4分の1くらいは傷と扱いの不備で使えなくしてしまったけど、とにかくたくさん扱った。梅酵素45キロ、梅干20キロ、甘露煮6キロ、梅酒2キロ、梅ジャム5キロ、梅エキス15キロ、譲った梅33キロ、合計126キロ。

収穫の時期と量、加工のタイミング。一連の流れがうまく回らないと梅が悪くなってしまう。収穫時期がよければ青梅は長持ちする。傷が少ない。でも日々鮮度が落ちていく。傷が付いているものは足が早い。熟した梅はもって2日。梅ジャム以外は青梅のときに調理するほうが適している。最後の収穫が梅ジャムになる。一回経験したので来年はもっとうまく組み立てることができると思う。

それに、梅は将来の暮らしのイメージを感じさせてくれた。いろんな仕事をもっと積み上げないとちゃんと回らないけど、暮らしの中の仕事として最初のレイヤーが出来たような感じだ。見えないパズルの一欠片を手に入れた感じ。そしてこんな風に気ままな時間の中で生活が組み立てていければ願ったり叶ったりだ。暮らすことが暮らしを支えるようになりたい。さて、次のレイヤーはなんだろう?

そんな生活の中で、仕事への気の配り方、それぞれのバランスの取り方がとても重要だということ気付いた。やりたいことはたくさんある。でも一つ一つ手間がかかるし、整理も出来てない。。手間とは労力と時間がかかるということなんだろう。しかも畑にもタイミングがある。梅にもある。収穫向きの天気のいい日ばかりじゃない。逆に梅を加工するには雨の日がいいと思っていたけど、そう都合よくもない。すべてをうまく回すには相当年季がいるんだろうなぁ。でも、構えず、焦らず、腐らず!暮らしを楽しめなければ意味がない!!

2009/06/26

梅の甘露煮の作り方


大梅が収穫できたので、早速甘露煮を作ってみた。
甘露煮を作るのは初めて。勢いで5キロ分の大梅を使った。

大梅の下ごしらえは楽しい。小梅と違って大粒なので何かと楽チンだ。
一粒約30グラム程度。大きく太った梅はももやプラムの仲間なんだと見た目で感じる。
洗浄してヘタをとり、味がしみこみやすいように針で皮に穴を開ける。

後は、梅ジャムと同様に常温の水から50度くらいまで並べて熱してアクを取る。今の時期だと1回くらいでいいようだ。下ごしらえが終わったら鍋底にさらしを敷き、梅を丁寧に一つ一つ並べる。
水の分量はひたひた。分量の3分の1の砂糖をいれ、上から落し蓋のかわりにさらしを乗せる。落し蓋だと梅が煮崩れてしまう。分量の砂糖を3回にわけ、砂糖が溶けたら次の砂糖を入れ、弱火でゆっくり砂糖を染み込ませる。
常温まで冷まして梅だけ保存用の容器に移し替える。慎重な作業だ。残ったあめ色の煮汁を再び熱するとアクが出てくるので丁寧に取る。熱いうちに保存容器をシロップで満たしてやる
そうして3日程度寝かしたら出来上がりだ。

余ったシロップはゼリーにでもしてみよう。
お勧めとしては、梅の上に梅を置かないようにすることだ。勢い勇んで5キロ分、3段も積んだら、案の定一番上の梅以外の煮崩れがひどくなってしまった。また積み上げると砂糖が染み込みにくくなる。中型の鍋で梅の分量にこだわらず、鍋のサイズに合わせて作ることが煮崩れ防止を役立つようだ。


<分量>
梅・・・・任意
砂糖・・・・梅の8掛け

2009/06/23

ウサギ除草機

娘が学校からいただいてきた2匹のウサギ。
シーちゃんとクーちゃんが本日めでたく、畑デビューを果たした。

4月に植えたウグイス菜にトウが立ち食用にはいささか不向きになってきていた。畝の更新を考えて今回はウサギさんに循環入りをしてもらうことにした。一応種取り分のトウは残しつつ、ウサギ小屋を畝の幅にあわせて設置した。丸1日ですればほとんどの草の葉を食べてくれる。

この2ヶ月ほど子ウサギの生態を観察してきたが、基本的にゆり科以外の草は何でも食べる。アブラナ科の葉っぱが好きで茎と一緒に与えると茎だけ残して葉を食べる。ただ、時間がたつと茎も食べてしまう。どうも好きなものを最初に食べる性格だ。スギナもよく食べてくれる。特にうちの子がすきなのは蛇イチゴ。赤い実だけきれいに食べ分ける。クローバーも大好きだ。イネ科はあまり好みでないらしく最後までとっておく。ともあれあればあるだけ食べるので、一日で菜っ葉を3束くらい平らげてしまう。畝のリセット時の除草係りとしては適任だ。ただし、鶏の様には草をはがしてはくれない。

当然ながら、ウサギは草を食べると糞と尿をだす。草の食べる量が多いと尿も多くなる。糞も同様。ただウサギはきれい好きなので糞は一ヶ所にまとめてする。食べている量に対しては糞は思ったより少ない。
しかし、畝の上で尿と糞をしてくれるのはとてもありがたい。総合的には除草というより元肥を与えてくれる感じだ。

ウサギが食べた後は枯葉の上にさらに藁のよう材料で厚めにマルチをした。遅ればせながらシソの苗を植えた。まだまだ除草して欲しい畝はたくさんある。シーちゃんとクーちゃんの活躍は始まったばかり。

ウサギ小屋はホームセンターで売っているBBQ用の網を木枠に取り付けて作った。大きさは160㎝×80㎝×50㎝。ジョイント部分は蝶番で台形にも長方形にもなるので畝にあわせやすい。高さは十分。広さは2~3匹が上限かな。あと、ウサギはトンネルのような狭い所が大好きで、直に逃げ込める場所を作ってやると落ち着く。また、ウサギはジャンプ力があるので蓋は必要だし、穴を掘るので設置の際には石や木の棒で穴をふさぐことも大事だ。外に出ようとする時は腹が減っているときだ。

当家には岡菜と呼ばれる食用の菜っ葉が雑草のようにそこいらじゅうに生えている。実際サツマイモは岡菜に飲み込まれそうだ。ウサギがサツマイモの葉を食べなければ、岡菜対策として使えるかも。今度検証してみたい。

2009/06/22

葬儀

昨日はオーナーのお母さんの葬儀に出席した。
一昨日、90歳で他界された。告別式の受付を依頼され、半日、喪服を着て役目を果たした。久しぶりのスーツとネクタイ。生前、介護施設を訪れ一度だけ挨拶をさせていただいた。お世話になっているオーナーの役に立てるのであればと思い役目を頂戴した。

この牧丘の土地や風景の思い出をとても大事している故人の親族の話をいろいろ聞かせていただいた。還暦を迎えたような方たちが中学生だった時の記憶。この家が古民家でなく、家族を包み込む生きている家だった頃の話。養蚕をして梅雨の時期に炭を焚いていた頃の記憶。この家が傾いた訳。蒟蒻農家、桑畑、リンゴ農家。自分が知らないこの家の遍歴を語る人たちがいた。今、僕らが住むこの家のことだ。そして、親族だけで行われる儀式にも参列し、一緒に故人を偲んだ。彼らの記憶と自分が見ている風景が交じり合って、この場所にいることをとても奇妙に感じた。

流れの中で引き継ぐ人がいなくなって、ご先祖とは縁もゆかりもない僕らが家と土地を借り受けていること。大事な思い出があるこの土地が他人に使われていること。この家を内側からみていた彼らが心の奥でどんな風に受け止めているかは計り知れない。ただ、皆口を揃えたように牧丘はいいところだ、小さいときはよく遊んだといっていた。記憶の重みを感じて、自分は今この土地にいられてとても幸せだと言う他、何もいえなかった。彼らのこの土地に対する愛着を、僕はこれからどう受け止めどんな行動を起こすのだろう。

僕の先祖は別にいる。でも、この土地を作ってきたこの土地の先祖には感謝をしたい。ご親族がこれからもこの家に遊びに来れるような場つくりをしたい。そして新たな記憶を共有できたらいいと思う。

家には仏壇が置いてある。まだ位牌やご先祖の写真もある。こっそり線香を焚いた。

2009/06/20

小梅の扱い方-今季の学び

牧丘の小梅の時期が終わった・・。
標高600メートルの当地では他の土地より始まりも終わりも遅い。

うちにあるのは甲州梅という種類。木の南側の実は大きく育ち、熟すのも早い。一番大きな実をつけるのは一番高く伸びた中心にある枝だ。梅雨入りと同じくして緑色だった小梅もオレンジがかって皮も柔らかくなり、香りが強くなってくる。熟してくるとそれまでなかった虫も活発に活動ようで、それが足の速さを促進させる。食べるとおいしいから当然だと思うけど。ヘタの周りから悪くなって実全体に波及する。近日収穫したものは3日としないうちにぐちゅぐちゅになる。最初は1~2割程度だった傷物も、もう5割弱くらいまで割合が高まり、商品としても価値はもうなくなってしまったようだ。

黒星病という黒い斑点が出る。人間には害はないようだ。最初は小さな点。次第に大きくなって、さらに時間がたつとそこから悪くなる。梅農家は春先に農薬をまいて防除しているらしい。来年は酢でも散布してみよう。

梅の収穫の方法はいろいろ試したが、枝を棒でたたいて果実を落とす方法が一番よいと思う。手もぎは丁寧で木の観察もよく出来るけどえらく時間がかかる。枝を剪定しながらの収穫は枝葉がたくさん出て始末に困る。叩き落すのが傷もつかず、時間もかからない方法だった。木の周りにシートを張って竹の棒で実の付いた枝を傷つけないように叩いていく。3回も叩けばほとんど落ちてしまう。今年は加工と収穫の段取りがうまくいかず収穫が間延びしてしまった。結果、足の速い果実を扱う羽目になった。一番いいのはこまごまと収穫するでなくまとめてドカッと収穫してしまうのがいい方法なのだと思う。

収穫後の扱いも手順がある。その後の加工の方法によっても違うけど、梅干や甘露煮のように出来上がりの姿を重要視する加工方法の場合、傷物を取り除く手間は省けない。特に梅干は追熟させるので傷物はかびてしまう。。一つ一つ手にとって目で確認する作業は、ゆっくりした時間を演出してくれる。梅を洗うのも囲うの直前だ。バケツに水を流しながら梅を入れると自然と枝葉が浮かんでくる。牧丘では誰かに差し上げる梅の場合には選果している。その人を思いながら選果するのはとても楽しい。

追熟させるときは出来るだけヘタを取ってはいけない。ヘタ取りは最後手順だ。早くヘタを取るとその部分が乾燥がすすんで種が顔を出してしまう。乾燥するとヘタが取れやすくなるので丁寧にあつかってやらないといけないようだ。

これからは大梅の収穫時期。残念ながら自家用分くらいの量しかないけど、卓球のボールより大きく太った梅を梅干と甘露煮にする。それもとても楽しみだ。是非食べに来てほしい。